日向(茂木村大崎名 日向)大崎名の小岬にある小字地名

今日は茂木の大崎町にある小字地名のおはなしです。 写真の大崎の海辺にある小岬が小字地名「日向」(ひなた)の地内、大崎公民館より南側(千々)方向にあります。今度廃止予定のバス停より徒歩で10分ほど海側に降りた処にあります、恥ずかしながら今考えるともっと岬側を歩いてみるべきだったと後悔してます。海向こうには天草が見えています。 茂木の大崎町にある小字地名「日向」の地名について考え…

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里(茂木村大崎名 里)大崎集落中心部南側の小字地名

今日は茂木の大崎町にある小字地名のおはなしです。 県道34号線から海側の急な傾斜地集落が独特な大崎地区、その南側にあるのが小字地名「里」の地内です。海傍にある白っぽい建物が大崎町の公民館になります。 海に向かうまで私道か公道が区別がつかない迷路道を彷徨いながら海へ降りることで大崎らしさを味わうことができます。海向こうには雲仙が聳えています。 県道沿いにあ…

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湯穴(江ノ浦村後田名 湯穴)船津地区にある小字地名

今日は諫早市飯盛町、江ノ浦後田にある小字地名のおはなしです。 写真は江ノ浦港の船津地区の東側、このあたりより東側が地内になります、防波堤はあるものの昔ながらの雰囲気も残る素敵な漁港です、天気が良ければ雲仙もよく見えます。 江ノ浦後田にある小字地名「湯穴」の地名について考えたいと思います。 小字地名ですので伊能大図にも現地形図にも記載のない地名です。 地名の由来ですが字の如…

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田平浜(樺島村 田平浜)樺島地下ダム付近の浜

今日は樺島にある地名のおはなしです。 写真が田平浜、伊能忠敬測量日記のみ記載の浜、小字地名は田原になります、後背地に地下ダムがあります、樺島の南端に位置し樺島灯台から10分ほど降りた場所にあり最果て感があります。 こちらも田平浜、北側に唐人瀬、南側は口ノ鼻に挟まれた狭い浜ですが絶壁に間にあるような小さな浜です。 樺島にある地名(浜名)田平浜の地名について考えたい…

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疣神(江ノ浦村後田名 疣神)江ノ浦の海辺にある祠

今日は諫早市飯盛町、江ノ浦後田にある小字地名のおはなしです。 写真が江ノ浦港の東側にある集落が尽きる処の周辺が疣神(いぼがみ)の地内になります、ちょうど上に登る道ところの分岐点の木陰に小さな祠がありこの祠が疣神の由来になった祠と考えられます。残念ながら後で気づいて写真撮れてませんでした。前面には前の島が見える位置です。 江ノ浦後田にある小字地名「疣神」の地名について考えたいと…

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水ノ浦(樺島村 水ノ浦)現在は埋立でふれあい広場に

今日は野母崎樺島地区にある小字地名のおはなしです。 樺島バス停奥(灯台方向)にある樺島ふれあい広場その公園内にあるのが伊津岐島神社、元は海にある岩礁にあった弁天様を元の位置に祀った素敵な神社です、この公園一角が水ノ浦のあった場所になります、恐らく昭和50年代に埋立てられたと思われます。 樺島灯台方向(脇岬向)から見た現在の水ノ浦、なんとなくですが海だった名残があります…

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中島(樺島村 中島)樺島と脇岬の間にある無人島

今日は野母崎樺島地区にある小字地名(島)のおはなしです。 写真中央の島が樺島側から見た中島(なかしま)、左手に見える赤い橋が脇岬と中島を結ぶ樺島大橋、中島と樺島は築堤で結ばれています。因みに中島ですが樺島側半分が樺島村の小字地名、脇岬側半分が脇岬村の小字地名「中島」と小さな島ですが二分されています、江戸期は佐賀藩深堀領の脇御崎村と江戸期は島原藩領の後に幕府領となった樺島村ですが中間…

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脇津(脇岬村 脇津)岬の脇にある漁港

今日は野母崎脇岬地区にあった港のおはなしです。 脇岬地区の漁港である脇津、江戸期は脇御崎(御崎)村の港として重要視され文献によっては脇御崎村の枝村として扱われたものもあります、今もよく雰囲気の漁港で近くにはゴマ豆腐で有名な観月さんがあります、バス停でいえば脇岬または松原が最寄りになります。現在は脇岬港となっていますが現地形図には脇津の地名が残されています。 野母崎脇岬にある港…

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弁天島(脇岬村 弁天島)脇津の横にあった島

今日は野母崎脇岬地区にあった小島のおはなしです。 樺島方向より見た現在の弁天島、現在は埋立られ地形図にも標高28Mの弁天山と表記されています。因みに明治期の陸測図では辨天嶋とまだ島時代の地形図が残っています。 トゥクトゥクの正面にあるのが現在の弁天山、近くにはゴマ豆腐で有名な観月さんがあります。 島の東側は小さな造船所と漁港があってよき雰囲気です。脇岬で…

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五番町(矢上村町名 五番町)長崎街道番所橋付近の小字地名

今日は矢上にある小字地名のおはなしです。 長崎街道、番所橋付近より旧街道沿い、かっては矢上宿として賑わった街道も今は国道沿いに賑わいを譲り閑静な通りになっています。 江戸期は佐賀藩諫早領の矢上、なんとなくですが旧長崎街道沿い宿場町の雰囲気を感じさせます。 八郎川沿いにある長崎自動車学校も旧五番町内でかっては矢上宿の本陣跡と言われています。 …

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