女神の手前にある埋め立てられた小さな浦 戸町村下郷 岩井ノ浦

前にも話したことがありますが、我が家のトイレには昭和30年代の北海道鉄道地図と江戸時代の長崎古地図(長崎文献社)があり、たとえ苦しむことがあっても楽しめるような工夫をしています(笑)、そんな古地図で知ったのが戸町村にあったイワイノ浦でした。 江戸時代の長崎古地図をいろいろ見ていると祝浦の表記のものもあり、なんともおめでたい地名だと思いました。最近、この埋め立てられた岩井浦の先端にロ…

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捕鯨の島(西彼大島)にある鯨の浦 黒瀬村大島郷 鯨の浦

高校野球で長崎の強豪校になった大崎高校のある西彼大島、きっと監督がいいんでしょうが素晴らしいことです♪今日はその大島にある鯨の浦の地名です。写真が暗くてすみません。 場所は西彼大島の西大島地区、さいかい交通の西大島バス停付近になります。今でこそ西大島と名乗っていますが昔はこの地が大島の中心地だっとことは、ここが大島郷であり、大島神社があることでも分かると思います。炭鉱が栄えたおかげ…

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同じ工場で15人もいるのにクラスターでないの♪

やっと安陪シンゾー将軍様の大ウソがばれてきました♪ それにしても国会でもあの当時虚偽答弁どころか逆切れ みっともないというより日本の恥そのもの。 教科書にも動画付きでこういう堂々とウソをつく最低の人間になってはいけませんの見本にしてもらいたいです。 まだこれで国民の代表だから恥ずかしい。 最低限はやく国会議員を辞めるべき これで検察も立件見送りなら検察も解体論が出ても…

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松島火力発電所のため陸続きになった石炭の島 松島村内郷 串島

長崎や西海市の離島は石炭の島が沢山ありました。その数ある石炭の島の中でも今日は知名度の低い串島を紹介したいと思います。串島と聞いてすぐに場所が分かる方はかなりハイレベルな通だと思います♪ 写真は大瀬戸から見た松島、その写真右側に見える先端が串島になります。写真でも串島の左側に白い松島火力発電所が写っているので場所的なものは分かると思います。 串島自体は周囲2Kもない島ですが伊…

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緊急地震速報にびびる。。

さっきニュースを見ていたら緊急地震速報が(涙) いつ聞いても超びびる。。 やっぱり東日本大震災のトラウマか。。 なるべく聞きたくありませんが、長崎では熊本地震の時はよく防災無線からあの恐ろしい音がなって恐怖のどん底。。。 ほんとう地震は怖い。。 コロナなんて政府の感染拡大キャンペーンで東京から地方に予定通り拡散してますが、今、首都圏で地震があったら大変だと思うんですがね。 ハ…

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尾戸半島の長い串 長浦村尾戸郷 名串鼻

大村湾の中にある細長い尾戸半島、知名度的には低いですがその尾戸半島の形上湾側に尾戸半島の子供みたいなこれまた細長い半島があります。その先端の岬が今日紹介する名串鼻です。 こちらは大江橋付近の海岸線から見た名串鼻です。写真左側から伸びた半島の先端になります。私には尾戸半島自体がずっと未開の土地でしたが長崎バスが90年代から尾戸半島の先端小口港線が開設されたので2000年代初頭にはじめ…

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米軍施設のため埋め立てられた銭亀浦 横瀬浦村本郷 銭亀

銭亀はイシガメの子供で現在はクサガメにも使われています。亀は小学校の頃にペットとして飼っていたので大好きでした。いずれも長崎くんちの時ですが最初はミドリガメを飼って1年ほどでお亡くなりになり、次の年に中ぐらいのクサガメを飼って数年生き続けてくれました♪住吉のペットショップでもウサギさんとともに亀を見るのも楽しみでしたね♪今日はそんな亀に関する地名から 上記写真は昭和50年に撮影され…

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掛け声だけの感染対策

もちろん無能な政府や霞が関のゴミ組織に期待はできませんが、未だに掛け声だけの感染対策って、国民は自己責任 ん~~~彼らの頭の中はキャッシュバックの政治献金かオリンピックぐらいしか興味がなさそうです♪ 医療機関にもありがとうの言葉だけ。。自衛隊のパフォーマンスなんて必要は全くない。 病院に必要なお金や設備を投入して感染対策を進めることこそ医師会のいうように経済対策にもつながると思うが、無…

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海星高が自殺を「突然死」に偽装 長崎県も追認、って。。。。

朝からあ~~とため息と天気はいいのに心が曇ります。 ネットニュースの記事見て気落ち。。。 教育関係の学校や県の教育機関がこんなことでいいのですかと言いたいですが。。。 学校や県からこんなことを言われそうな気がします。 結局、言い方をちょっと変えただけ結果は同じでしょう。。何が悪い? そこに少なくとも反省はなさそうです。 まともならこんなことにはならないでしょうが だ…

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伊佐ノ浦に面した岬 七ツ釜村七釜本郷 鳥崎

中学校の頃までは大瀬戸板の浦より先というのは、その先の果てにでも行くような感覚がありました。笑い話かもしれませんが、中学校の頃は18切符で北部九州を旅することはありましたが、それよりも不便というかバス代だってそれなりに高く、本数も今ほど悲惨な状況ではありませんが少ないし、長崎市内に比べれば当たり前ですが鄙びた漁村の風景がそう抱かせてくれたのかもしれません。その中でも当時から気になっていた地名の一…

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