中戸(黒瀬村中戸郷 中戸) 祝選抜出場予定 大崎高校ゆかりの地

今年の春の選抜に西海市の離島、大島にある大崎高校の出場が決定♪決して21世紀枠でなく、九州大会優勝の実力で勝ち取った実力は大変素晴らしいと思います。今日はそんな大崎高校のある中戸のお話です。 中戸は西彼大島と崎戸の蛎浦島の間にある瀬戸である中戸瀬戸が由来になっています。中戸の由来はその恐らくは島と島の間(中)にある瀬戸から中戸になったと考えられます。写真でも分かると思いますが両側と…

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宮本(西浦上村東北郷 宮本) 住吉神社ゆかりの地

長崎市北部の中心地、住吉にある社が住吉神社、住吉の地名の由来は江戸時代初期1630年代には存在していた大村藩領浦上北村の鎮守社、当時は住吉大明神と呼ばれた住吉神社が由来と考えてよいでしょう。当時は以外にも修験道が管轄していたというのは興味深いところです。 写真は住吉のアーケードより住吉神社方向、奥のほうに住吉神社の鳥居や階段が写っています。神社階段下を左右に通る道が旧浦上街道になり…

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美しい日本人の象徴 旭川医科大学長♪

北海道といえば、最近一番ショックなのは夕張のレースイリゾートの破産だったのですが昨日のニュースはもっと私にはショッキングでした。 あの問題発言をした旭川医大学長が病院長を解任したみたいです。 問題発言をしたほうが残り、まともな方が解任? 最初は間違いなのかと思いましたが。。。。 なんだか政治の世界と同じですね。。 言い訳する姿といい。。実に美しい♪ 何と現代の美しい日…

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本尾(浦上山里村里郷 本尾) 浦上天主堂のある町

今朝は住吉の保育園近くをさんぽする夢を見ました。坂の上にある保育園で周りの風景も現在は随分変わりましたが、またさんぽしようと思いました。さて今日は浦上天主堂のある本尾の地名を紹介したいと思います。 浦上天主堂のある現在の長崎市本尾町は浦上山里村の里郷にある字からきています。浦上街道からは外れた場所にあります。伊能大図や測量日記には里郷の記載はありますが本尾の記載はありません。江戸時…

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佐世婦島(土井首村 佐世婦島) 毛井首沖の埋め立てで消えた島

長崎は日本一島の多い県です。とはいえ、近代化に伴い、長崎市内は幕末から明治、大正、昭和と長崎港内の埋め立てが各所で行われています。また長崎市郊外は戦後に埋め立てが各所で行われそれに伴い、神の島や香焼島のように島が埋め立てで繋がったり、今回紹介する佐世婦島のように消失してしまった島もあります。今回はそんな毛井首沖にあった消えた島のおはなしです。 上記写真は1962年に撮影された土井首…

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蛍茶屋(上長崎村本河内郷 蛍茶屋) 長崎街道の玄関口

長崎市内を走るチンチン電車、その2号3号4号5号系統の終点が今回紹介する蛍茶屋、要するに1号系統以外はすべて乗り入れる強者です。そんな有名な地名ですが住所には無い地名が今回紹介する蛍茶屋です。 画像の手前にある石橋が1653年建造の一ノ瀬橋で、江戸期には「市瀬晴嵐」として長崎八景のひとつに選ばれています。地名の由来になった蛍茶屋は一ノ瀬橋を渡った右側奥(電柱の右側)にあったようです…

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大浦(戸町村大浦郷) 長崎八景の一つ大浦も現在は川状態

今日は国宝大浦天主堂のある地名、大浦を紹介したいと思います。私は大浦近くの籠町の病院で産まれ、家族は私が産まれるまでは大浦にある社宅に住んでいたそうです。何でも私が産まれると生活上狭くなるため西浦上に引っ越ししたそうです。あと少しで大浦育ちになる可能性があったかと思うとちよっぴり残念です(笑) 写真は、川状態になった現在の大浦、なんとなく今も船があるので海だったことを感じさせるので…

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西ノ浦(伊王島村 西ノ浦)

今日は長崎港の先にある伊王島の地名から 写真は西ノ浦、場所は伊王島港の逆側(西側)にあります。沖之島と伊王島の間にある瀬戸に小さな北側をくり抜いたような形状の港です。小さいことを除けば漁港としては充分な条件を備えているような場所です。ちなみに西ノ浦より伊王島岬側には千畳敷があります。伊能大図には記載はありませんが測量日記には西ノ浦の記載があります。もちろん地名の由来は西側にある浦で…

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鍋冠(戸町村大浦郷 鍋冠) 長崎市で一番おすすめの展望台

今回は珍しく山の地名から、大浦地区の後ろに聳える鍋冠山です。昼よし、夕よし、夜景もよしの万能展望台がある山です。 新世界(九州?)三大夜景に選ばれた稲佐山展望台よりこっちのほうが私は余程いい景色だと思います。なんといっても長崎港の風景や稲佐山が楽しめる点がポイント高いです。 こちらの画像は稲佐山方向から見た長崎港と鍋冠山、画像右側に鍋をかぶったような優しい山容をしています。鍋冠(…

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シホハヤリ(戸町村下郷 シホハヤリ) 江戸期に見られる海岸地名

長崎の海岸線は埋め立ての歴史でもあり残念ながら江戸や明治、昭和と歴史を積み重ねるたびに海岸線も変容しています。 今日ご紹介する地名は江戸期には見られる地名です。 小字にも見られないことから明治期にはあまり使われなくなった可能性が高いかもしれません。近くの小菅浦にはソロバンドックができ海岸線が変容しています。なんせ明治元年完成とほぼ江戸末期のドックです。場所はソロバンドックより北側…

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