昼帰(茂木村田手原名 昼帰)心和む山里の風景

コロナ、ウクライナ戦争、おとといの大地震、閉塞感を感じる毎日だからこそ、こんな春の山里風景を見ながら心を癒したい♪今日はそんな風景が広がる気になる地名のおはなしです。 写真は重篭より見た昼帰附近、山麓が小字地名の昼帰附近になります。山手はまた別の小字地名となっています、山の名は茂木山で、優しい美しい山容ですが、山頂からは残念ながら付近の樹木しか見えないようです。 市内…

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悪夢再び、また大地震。。。震度6弱

去年もたしか同じMGの福島県沖地震でしたが(M7.4)また来るとは(涙) 近いうちに大地震がありそうなことは、たまにブログでも触れていたように予期はしていましたが、またここなの。。。って感じです。。 トンガであんな噴火もありましたし、何もないわけはないのですがね。。。 こういうときは大地震がない長崎が羨ましくなります。 正直言って、房総や八丈沖、青森東方や十勝沖附近だと勝手に思っ…

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相川(式見村 相川郷)随分減便された長崎バス相川行き

もうじき長崎バスのダイヤ改正でいろいろコロナ渦で減便が予想されますが、式見の相川行きはここ数年で大幅に減便された印象があります。今日はそんな相川のおはなしです。 相川バス停からは、美しい角力灘の風景が広がっています。以前に比べればバスの本数は減りましたが1時間に1本は残るでしょうから相川まではそれほど不便な場所ではありません。(相川より先、大見崎方面は極端に本数が減ります。)、バス…

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釜田(長与村高田郷 釜田)無人駅になった道ノ尾駅は被爆遺構駅舎

3月のJRダイヤ改正で無人駅になった道ノ尾駅はご存じの方も多いと思いますが長崎市葉山町と長与町に挟まれた境に駅があります。今日は道ノ尾駅のある長与側の地名についてのおはなしです。 写真は道ノ尾駅と今はなき急行色のキハ66・67、境界は駅舎がある方は長与町域内でホームの南側などが長崎市内のようです。(スシローさんはぎりぎり長崎市内)、今回の改正で残念ながら無人駅になったものの去年より…

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稗木場(長与村高田郷 稗木場)焼畑地域も今は住宅地

1日1本だけなのに豪華なバス停、バスが来ないのでのんびり休憩できました(笑)、今日はそんな不思議なバス停のあった自由ヶ丘にまつわるおはなしです。 この屋根やベンチもあるご立派なバス停が自由ヶ丘でした。のほほ~~んとした雰囲気でたまに近所の老人が座っていました。もちろんバス待ちではなく休憩所としてです(笑)、それもそのはず廃止前の数年は堂崎方面へバスが1日1本だけ、市内へ向かうバスす…

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震災 原発事故から11年 今思うこと。。。

昨日のことのように今でも記憶に残る大地震、そして原発事故。。。。 お亡くなりになられた方のご冥福を祈りします。合掌 今はウクライナのことで頭がいっぱいですが、昨日の交渉のラブロフ外相のコメントなど全くかみ合わないのを見ると、今の岸田さんは評価できますが安陪やガースーのように質問にすらまともに答えられない上級国民をつい思い出します。 震災や原発事故で、ずいぶんあの日から私も人生いろい…

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樫ノ久保(村松村西海郷 樫ノ久保)凋落するローカルバス停

もう20年近く前の話ですが、この味わいあるバス停を見て思わず友人の車を降りて写真を撮ったことを思い出します。今日は西彼杵半島の山間部にある樫ノ久保のおはなしです。 写真は樫ノ久保バス停、現在は写真のある待合所の方にはバス停すらなく反対側にポールのみのバス停があるだけです。周囲は樹木に囲まれ住宅すら見えないうえにあの味わいある待合所、雨の降る夜にこの待合室で長崎バスが来るのを待つのは…

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屋敷岩原(上長崎村岩原郷 屋敷岩原)長崎県防空本部跡

ロシアによるウクライナ侵攻を見て改めて気づかされた点が民家にも備えられた防空壕(シェルター)の存在です。独ソ戦や冷戦下の核戦争の危機を経験しているだけに納得ですが、原爆を経験した長崎は?と考えると唯一私の頭に浮かぶのが、長崎県防空本部があった立山防空壕です。 写真は、屋敷岩原内にある長崎県防空本部跡、バスですと現在は長崎県歴史博物館前に駅と風頭を結ぶ路線が立ち寄るようですが本数がか…

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核兵器 持たない 持てない 持つ資格すらない 憲法に明記が必要な非核三原則

この長崎の地名ブログ、のんびり長い時間をかけて多くの。。。。などいろいろ描いていましたがどうも、そうのんびりともしていられないのかなぁ~と最近思う日々。 昨夜はウクライナのあの嫌な大爆発が夢に出てきて最悪でした(汗) 私にとって3日と5日に見たキノコ雲と長時間の閃光が続く爆発映像に相当ショックを受けたみたいです。 正直言って核戦争など現実にはないと思っていましたが、あの2回の異…

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矢太郎(下長崎村高野平郷 矢太郎)長崎の名旅館が残す地名

矢太樓といえば、長崎市民なら誰でも知っている名旅館、今日は旅館名で残る地名について。 写真は浜の町からみた矢太樓(山の上に聳える巨大旅館)、風頭の一角にあります。ちなみに矢太樓は昭和29年に建てられ名前は公募し、島原の方がこの地にあった地名より付けられたそうです。 こちらも浜の町から見た矢太郎方面、路面電車とのコラボ、矢太樓へは長崎バス風頭行きに乗り終点が矢太郎になり…

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