駒場町(長崎市駒場町) 長崎市にあった米軍原子飛行場

長崎市に駒場町という町がかってありました。駒場町の記憶を持つ人は少なくなってきています。
昭和39年に現在の松山町になっています。今日は駒場町について

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駒場町のあった現在の松山町は、原爆爆心地のある場所で、平和公園や爆心地公園もあり多くの観光客も訪れる場所です。
そんな松山町の一角にある陸上競技場やサッカー場のスポーツ施設が集約された場所に駒場町はありました。

駒場町は比較的新しくできた町で昭和15年にできた町です。新しい町だけに地名の由来もはっきりしていて昭和初期に草競馬場があったことが地名の由来になっています。残念ながら滑走距離などの問題により郊外に移転し競馬場はなくなったようです。第2次世界大戦中は軍関係の工場があり、人口は3500名を超えるほどと推定されていたようですが、あの原爆ですべてが破壊された町になりました。
生存者は残念ながらいません。原子爆弾という恐ろしい兵器の威力をまざまざと感じさせられます。

その駒場町に無神経にも米軍が飛行場を作っていたことを知り、改めて人間の感覚を麻痺させる戦争の恐ろしさを感じます。
名前はアトミックフィールド(原子飛行場)で流石に1500メートルほどの簡易な飛行場だったらしく小型機専用の飛行場だったらしいです。

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上記航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用してます。1948年当時の浦上上空です。
写真中央部の浦上川右岸に斜めに走る滑走路が見えます。これが米軍の原子飛行場です。
米軍に言わせればただ場所的に一番適当であったから、他に長崎市内に適当な場所がなかったからといった安易な理由だと思われますが被災(被爆)者の心を踏みにじる名前であり飛行場であったことに間違いありません。

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上記航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用してます。1962年の浦上上空
写真浦上川右岸の上から大橋球場(現ビッグN)市営競輪場(サッカー場)、陸上競技場が続いて見えます。
戦後は現在のようにスポーツ施設が沢山作られましたが、競馬場の流れを受けてか競輪場が作られたこともありました。
でも現在のIRではありませんが社会的に問題もあり昭和41年に競輪事業は廃止されています。また菓子博やサーカスなど市民の憩いの場としても利用されていた地域です。

個人的にはやはり水泳教室に行っていたので市民プールの思い出が一番あります。
今は平和な旧駒場町の一角です。今後もずっと平和が続くことを願っています。

最近毎年被爆者や戦争体験者がお亡くなりになることで平和の風化が進んでいることを非常に危惧しています。
実際、長崎ですら核大国アメリカいいなりで戦争法案の可決、自衛隊の中東派遣、原発推進、都合の悪いことは隠ぺいする政権与党を推す人が多いですからね。それでも推す国民にも私は最近恐怖を感じています。戦時中もそういうことだったのかとも思います。

平和は続いてくれればいいですが最近の超暖冬も正直、気味悪いです。豪雪地帯の只見が1月に0センチなんて想像もつきません。
グレタ氏ではないですが、地球も人間の住みづらい環境にどんどん変化してきているように思えます。
まぁ~地球にとっては、むしろ新陳代謝の一環として、人間の住みづらい環境というのもリセットの一環に過ぎないかもしれませんがね(笑)
今年の夏の気候、そして今後の日本の気候の変動が気になります。
オーストラリア森林火災が対岸の火事ではなくなるのも時間の問題のような気がします。
地震大国でもある日本ですし、正直私はオリンピックなんて気持ちには全くなりません。他にやるべきことが山積しているように思えます。

IRってありますが、確かに今の政権の成長戦略の柱のようですが、確かに国民ではなく彼らの懐を肥やす意味での一部の国民のための成長戦略であることに間違いありません♪それでも彼らを推す国民も多いのですからある意味彼らはとっても幸せな方々かもしれませんね。



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