カブトシマ(神ノ島村 兜島) 今は縁の下の力持ち?神ノ島にあったカブトシマ

トイレの時間は楽しい♪
もちろんお腹を壊してぶぶ~~の時は除きますが(笑)
我が家のトイレの壁には、座って左側に昭和30年代の北海道の鉄道路線図、右側には江戸時代(1802年)の長崎絵図が貼ってあります。
その効能や抜群であり私は最近、北海道だけでなく長崎の地名にも興味が湧いてきました(笑)
さて今日は神の島のカブトシマの地名についてのお話です。

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この地名を知ったのはもちろん私がトイレ中でした。
へ~なんだろう。まぁ~そんな感じです。

カブトシマ自体は神の島に付属するような形で絵図上では描かれています。
恐らく、満潮やしけた時などは島の形をなし、干潮時などは陸続きするような島または岬のように見える感じだったと思われます。
私の絵図にはカブトシマの沖合にトンカウ島が存在ます。

トンカウ島は恐らくどんく島のことと思われます。実際、絵図によっては獨空島と記載されたものも存在します。
どんく(獨空)は長崎の方言でカエルさんを意味します。今、マリア様の大きな像のある島がどんく島です。

あれ、ドンク島の近くに島なんてあったかなぁ~~~~なんて考えていたら思い出しました。
それが上の写真の神ノ島教会手前に写っている神ノ島愛児園になるご立派なコンクリートに覆われた土台、これこそカブトシマだったように思われます。教会下まで以前は海だったことが十分考えられます。

過去の文献を見ると、伊能大図にはありませんが測量日記には地のドックウ島と記載され、島といっても地続きの鼻と記されています。
ちなみにドンク島のことは沖のドンク島となっています。

また長崎名勝図絵には神の島と蔭ノ尾の間にある島、形が兜に似ていると記載があります。
これらのことから少なくともカブトシマは地名の由来は島の形が兜に似ていたこと、兜島と呼ばれたり地のドンク島(陸の方のドンク島)と呼ばれていたことが伺い知れます。

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写真を見ての通り、とても昔の形は想像できませんが昔はこの土台もカブトシマだったのだと思ってあげるとちょっとだけ面白みが増すような気がします♪ドンク島の兄弟島みたいなものだったんでしょうね。あっちは今も形が残り神もおわす神の島、こちらはひたむきに愛児園の縁の下の力持ちで頑張ってます。

ちなみに神ノ島ですが江戸時代は深堀藩領で小嘉倉(小ヶ倉)村にある島でした。
神の島2丁目の小字に兜の地名があることを補足しておきます。
今日はカブトシマの話でした。

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