
写真は小字地名「兜」付近、ちょうど神の島教会下に位置します。昔は島としての記録も残りますが現在はコンクリートで覆われた神ノ島愛児園になっています。残念ながら兜の形状は残っていません。

神ノ島教会側から見た兜嶋、周辺には高鉾島やどんく島、蔭ノ尾島があり景色のいい処です。
江戸期の絵図でカブトシマは神の島に付属するような形で描かれています。
恐らく、満潮やしけた時などは島の形をなし、干潮時などは陸続きするような島または岬のように見える感じだったと思われます。
私の絵図にはカブトシマの沖合にトンカウ島が存在ます。
トンカウ島は恐らくどんく島のことと思われます。実際、絵図によっては獨空島と記載されたものも存在します。
どんく(獨空)は長崎の方言でカエルさんを意味します。今、マリア様の大きな像のある島がどんく島です。
神ノ島にある小字地名「兜」の地名について考えたいと思います。
伊能大図に記載はありませんが伊能忠敬測量日記には地のドックウ島と記載され、島といっても地続きの鼻と記されています。
ちなみにドンク島のことは沖のドンク島となっています。
また長崎名勝図絵や長崎古今集覧では神の島と蔭ノ尾の間にある島、形が兜に似ていると記載があります。
これらのことから少なくともカブトシマは地名の由来は島の形が兜に似ていたこと、兜島と呼ばれたり地のドンク島(陸の方のドンク島)と呼ばれていたことが伺い知れます。

写真を見ての通り、とても昔の形は想像できませんが昔はこの土台もカブトシマだったのだと思ってあげるとちょっとだけ面白みが増すような気がします♪ドンク島の兄弟島みたいなものだったんでしょうね。あっちは今も形が残り神もおわす神の島、こちらはひたむきに愛児園の縁の下の力持ちで頑張ってます。
ちなみに神ノ島ですが江戸時代は深堀藩領で小嘉倉(小ヶ倉)村にある島でした。
今日は神ノ島にある小字地名「兜」のおはなしでした。
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