北瀬崎(上長崎村舟津郷 北瀬崎)海岸の岩より冷泉の出た北瀬崎御米蔵ありし処

船津といえば、小さいころよく見た長崎バスの行き先「長与 船津橋」を思い出しますが(現在は満永行きに延長)今日は長崎市の中心、長崎駅前にあった船津村北瀬崎のお話です。場所的にはNHKから新地や中央橋に向かうバスが停車する長崎駅前のバス停付近が北瀬崎になります。何気にいつも通っている方も多いかもしれませんね。

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江戸時代は船津村(時期によっては船津郷)、明治初期には長崎村船津郷になったこの一角、写真のコッコデショは大好き最高♪
ではなく(笑)アパホテルの隣のビルぐらいからNHK(写真には写ってません)までが北瀬崎周辺と推定されています。
そんな訳でコッコデショのあたりは昔はすべて海でした。

船津の地名自体も、まさに船のつく港の意味で県内だけでなく他県にもみられる地名です。

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写真の県営バスターミナル付近も当時は海で船がいきかった場所ですが現在は船の代わりにバスが頻繁に出てます、なんと貴重な九州号のレトロ塗装バス、これ撮るために頑張りました(笑)
このあたりが伊能忠敬の測量日記に出てくる長崎村船津浦と思われます。
また伊能大図では中波戸と大波戸に対抗するかのような地名が記載されていることも気になりますが中波戸なんて呼んだ時代もあったのでしょうか。中波戸は他の地図でも見たことがない地名です。(測量日記にも出てきません)

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さて北瀬崎ですが、江戸時代には1719年に北瀬崎御米蔵が設置されました、場所は分かりやすく言えば西坂の下、NHKからアパホテル手前のビルあたりまでの海岸沿いに大きな米蔵が5棟、のちに大型化され4棟並び、駅よりの方向に役人詰所、海側(現国道)には水門が3つあったことが江戸時代の絵図から分かっています。(上記写真の左端に見えるのがNHK)

北瀬崎御用米蔵図には一番北側の水門の前の海中に「此岩ヨリ清水湧出ス」と記され北瀬崎御米蔵の水門前の海上にある岩より泉が湧いていたことが記されています。長崎名勝図絵にはこの泉が瀬崎泉として水際に5つの泉があり岩の穴から湧き出て、潮を引くのをまって附近の住民が汲みにくることが記載されています。本当に5つもあったのか1つなのかわかりませんが海中の岩に泉が湧いていたことは分かります。

海岸の岩から湧き出ている泉なんて非常に面白いし珍しいと思います。残念ながら場所が場所ですので現在は当然ですが道路に変わっています。
こんな場所なら別の海岸に残っていたら名所にもなったと思いますが、美味しい冷泉だったのでしょうか。残念です。

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さてこの北瀬崎ですが残念ながら上の写真のように明治30年頃より埋め立てられ現在のようにとても海辺だったとは信じられないただの道路になっています。瀬崎の地名ですが瀬は海辺で石が多く磯といったような場所に持ち入れれます。したがって磯のある小さな崎(岬)といった意味でつけられた地名と思われます。

ちなみに瀬崎町として明治37年から昭和39年まで存在しましたが現在は長崎市八千代町、西坂町、御船蔵町の一部になっています。
今日は長崎駅前の瀬崎のお話でした。



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