神楽島(式見村大崎郷 神楽島) 角力灘に浮かぶ断崖島

神楽島、なんともいい響きの島です♪角力灘に浮かぶ島で式見や三重方面から良く見える島です。
今日は個人的にも好きな神楽島について。。

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写真は式見の中尾先バス停近くから見た神楽島、私にはウサギさんが寝そべったように見えます。
夕陽のときが一番いい雰囲気になりそうです。外海ってどこからもそうですが(笑)
式見の沖合、約4キロで周囲は約3.3Kもある割合大きな島です。島には三つの山(大岩)があり沖の岳、内の岳、飯森岳があり飯森岳(約48メートル)の頂上には乙宮神社の旧跡があると長崎町人誌に記載があります。

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神楽島のよく見える中尾先は長崎バスの相川行きで50分ほどかかります。1時間に1~2本はあります。
写真は式見の集落を入れて撮った神楽島、形が若干変わるのが分かります。バスをさがせ♪
なんとこの写真にはバスが写っています。暇な方は探してみてください(笑)

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こちらは樫山より見た手前が三重崎で奥の島が神楽島になります。
こちらから見た神楽島はなんか格好がよく勇ましい形に見えます。ちなみに住所的にも近い大見崎近くから見るとなんだか小さくなったような微妙な形に見えます。個人的には式見や相川、三重の方からしか写真にとってません。

神楽島ですが伊能大図にも神楽島と記載があります。
ここからは神楽島の地名について考えたいと思います。

神楽島については、一番有名な神功皇后が三韓征伐の帰りに島に立ち寄り神楽が奉納されたといった伝説がありますが、正直言って神功皇后自体存在したかどうかも分からず、まして皇后が三韓征伐?、私には朝鮮半島や中国の古文書から客観的な証拠が出てこない限りとても信じられません。ですから長崎には他にも私の大好きな飯香の浦や甑岩など所々、皇后に因んだ地名が存在ますが私は地名の由来の可能性は非常に低いと考えています。

乙宮神社が島の飯森岳に以前あり神社の神事の際に島に鈴の音が出ることから神楽島になったとの説もありますがこちらも可能性は低いように思えます。

長崎町人誌によれば、神楽島は江戸時代、式見村と三重村の相持ちの島で1817年に瀬戸群奉行が境目に松を植えさせ境界を定めたようです。
わざわざ奉行が境目を定めるぐらいですので住民にとっても魚や鳥など食料を得る意味で魅力的な島だったように思えます。境界を定める前は入会地で言い争いも結構あったかもしれませんしね(笑)、さて、神楽ではないのですが「かくら」漢字では「狩座」と書き、狩猟を行う地域のことを意味する日本語です。狩倉山で狩猟の禁漁期を表す地名が存在します。私は狩猟を意味する「かくら島」が、当て字をした際に縁起いい神楽に当て字されたような気もします。

ただ地名用語として神楽には断崖の意味もありこちらが一番有力かもしれません。
遠くから見ても断崖に囲まれた島であることが分かります。だからこそ目に付くし魅力を感じる島ですね。

また神楽島ですが別名で向島とも呼ばれます。
大崎郷の小字にも神楽島もありますが向という小字も存在ます。この向島の呼び名の由来ですが恐らく簡単ですが向こうにあるから名づけらた地名と思われます。これだと分かりやすいですね(笑)

北海道の南西部にある奥尻島ですがアイヌ語のイクシゥンシリと言い、その向こうの島といった意味で名付けられた島ですがそれと同様の名づけ方と思います。

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式見といえば、かもぼこも美味しいですが神楽島を見ながらぼんやりするのもいいところです♪
軍艦島ツアーもいいですが神楽島ツアーなんてあったら行ってみたいですね、とても魅力的に思えます。
今日は式見沖の神楽島でした。


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