出島や新地もそうですね。今日はそのひとつ大瀬戸町福島の埋め立や瀬戸の話など♪
写真は大瀬戸樫の浦にある瀬戸港(連絡船から見た)です。ここから池島や松島に行く船が現在も出ています。
長崎市内からだと長崎バスで1時間40分ほどですが乗りかえもあるし、近年バス代も結構高くなり私にはハードルの高い場所になりました(涙)
でも池島、松島両島とも元炭鉱の島ですし、池島は炭坑内の見学ツアーも現在はあるので魅力的ですね♪
上記写真は2010年当時の大瀬戸樫の浦周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。
この写真をみれば対岸の福島と瀬戸は埋め立てられ福島が島であることが分からなくなっています。
上記写真は1966年当時の大瀬戸樫の浦周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。
この写真を見れば福島が橋でしかつながっておらず島の原型が良く分かります。
瀬戸の地名ですが1566年にイエズス会の修道士ルイス・デ・アルメイダの書簡に出てくることから戦国期にはすでに存在した比較的古い地名であることが分かっています。伊能大図、測量日記ともに瀬戸村瀬戸浦が記されています。この瀬戸村ですが昭和3年に瀬戸町、昭和30年には多比良村、瀬戸町、松島村、雪の浦村合併などにより現在の大瀬戸町になっています。今と違って昔は瀬戸と長崎を結ぶ航路もあったようです。これなど今もあったら乗ってみたくなりますね♪
瀬戸の地名の由来ですが上の空中写真をみれば一目瞭然、瀬戸の意味通り福島と瀬戸(樫の浦)の間が幅の狭い海峡になっていることから名づけられた地名であることが分かります。
大瀬戸中心地の樫の浦ですが大村郷村記には樫浦郷の地名が見られます。樫の浦の地名ですが川や海の港で人や荷物の上げ下ろしをするばしょを河岸(かし)と呼びます。他の地域との交流も盛んな浦であったことから瀬戸浦とは別に「かしの浦」という地名も併存し、その当て字で樫の浦になった可能性があると思います。また樫の木が由来で樫の浦になった可能性、この2つが有力な樫の浦の語源の気がします。
今日は埋め立てられて無くなった瀬戸のお話でした。
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