大波止(長崎村 大波戸) 中波戸もあった?長崎の海の玄関口

今日は長崎市の海の玄関口、大波止
長崎市の人なら誰でも知ってる海の玄関口です。五島方面や高島、観光航路の出航地です。
でも住所では意外にも大波止町は存在したことが歴史上ありません。

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大波止からの眺めはまさに長崎港が広がりいい風景です。江戸時代から現在もここでは馬が主役です(うそ)
私が大波止から五島に行ったのは1度だけですが、子供の頃は毎年のように夕方の大波止港から納涼船に乗って長崎港クルーズを楽しんでいました。うちの家族にはかかせない毎年の行事でしたね。あとは小学校の頃、大波止で学年単位で絵を描くために来たことがあり私は漁船の絵を描いた記憶があります。

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今は観光丸も停泊していることが多いので絵になる大波止です。

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天気がいい日の大波止。観光丸のお陰で絵になります。

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あとは御旅所があるのでおくんちの時は必ず大波止に行ってました、今でもくんちを見るのは大波止の御旅所がメインです、もちろんタダ席ですけどね(大笑)、写真は大波止で撮った上町コッコデショです。昔はコッコデショのいるあたりに国鉄の長崎港まで行く線路が残り、夢タウンのある場所には木造のお洒落な建物があってすぐ後ろは海でした。

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さてこちらは1962年の大波止周辺の空中写真です。「国土画像情報(空中写真) 国土交通省」より引用。

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こちらは1975年ごろの大波止周辺の空中写真です。「国土画像情報(空中写真) 国土交通省」より引用。

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こちらは2010年ごろの大波止周辺の空中写真です。「国土画像情報(空中写真) 国土交通省」より引用。

この3つの写真を比べてもだんだん埋め立てられ海が減っているのが見て分かります。これ以上港の埋め立てが行われないことを願うばかりです。人口も減っているので困ることもあまりないと思いますしね。

さて大波止ですが先に述べたように大波止町もなく知名度が高い割には住所すらないというのは駅のある北部で駅のある道の尾と似ています。
その大波止の地名ですが昔は大波戸と止ではなく戸の当て字がされた地名でした。まぁ~私のトイレに貼っている1802年の絵図では単に波止場と書かれているので単に波止場と呼ばれたり、そんな時代もあったと思われます。

江戸時代には幕府の西役所がすぐ上にあり、出島が隣接している点でも貿易上の点で非常に重要な波止場であったことは間違いありません。
そこから大の字が波止場に充てられたのかもしれません。唐船や蘭船の停泊できる入り江があったことも絵図から分かっています。

江戸時代の前の文禄の頃には波止場が石垣を築き設置され番所も設けられたことが「長崎実録大成」に載っています。この頃が大波戸の始まりのようです。ちょうど秀吉が伴天連追放令を出して長崎を直轄領にして長崎奉行を置いたころの時代になります。
この秀吉の存在が長崎ではその後の歴史に大きく影響しています。あのままキリシタン領になっていたら、どうなっていたか分かりませんし、秀吉が直轄領にしていなかったら家康も長崎に注目できず天領になっていない可能性もありますし。秀吉の存在が今の長崎の形をつくるうえでも結構強い影響を与えていると思われます。

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上の写真ですがバスのいる場所は当時は海で、左側がコッコデショのある長崎物語のビル周辺前からホテル手前、右側が文明堂より後ろから旧長崎警察署前までの道路部分が入江状の波止場になっていたことが推定されています。その入江の出島側に大きな鉄砲玉や番所、お祭りのときは御旅所が設けられたようです。

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写真の大串行きのバスがいるあたりが入江の一番奥辺りで高札場があったようです。
大波止の地名の由来ですがもちろん波止場が由来になっています。重要な波止場から大波戸となったと思いますが昔のまま大波戸でもよかったと思いますがなぜ字が止になったのか不思議でもあります。波止場が由来だから止の字を使っただけと思われますが。。

また伊能大図では大波戸ともに現在の長崎駅周辺に中波戸が記されている点は興味深いところです。
ちなみに測量日記には大波戸の他に樺島町の海辺に中ノ波戸の地名が記されています。地図は大きいので位置的には違うかもしれませんが日記の通り樺島町の海岸線を中ノ波戸と呼んだ時代があったことは間違いないようです。

また浦五島町の黒田屋敷と深堀屋敷の間には番所波戸ともうひとつ波戸があったことがわかります。
貿易以外にも漁船など船が多いので波止場が複数あったことが伺い知れます。

さすがに小波戸の地名は見られません(笑)
ただ小波戸というと、私は羽越線にある鶴岡にある小波渡駅を思い出します。
日本海の車窓の美しい羽越線ですが小波渡まで日本海の車窓が楽しめますがそこから内陸に入り庄内平野を走ります。
庄内から下るときはいよいよ日本海が見えるとウキウキし、酒田を目指すときはあぁ~海とお別れなのねと悲しむ駅です(笑)

今の大波止ですが200年後はどうなっているのでしょうか?
現在の浜口町みたいに昔は地名からここが海だったらしいよなんてならないといいですが。
200年後の新長崎港は埋め立ての影響で深堀になりましたなんてならないことを祈ります(笑)

今日は長くなりましたが長崎の玄関口「大波戸」のおはなしでした








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