恵比須崎(茂木村本郷 恵比須崎) 初代長崎代官別邸跡

昨日の秀吉さまの続きではありませんがイエズス会領になっていた文禄時代茂木について。
秀吉が教会領を召し上げ、この茂木も秀吉政権の直轄領になりました。

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その初代長崎代官に村山等安が任命されましたが、その等安の別邸があった場所が現在の長崎バス片町バス停付近にあるSマートさんと茂木郵便局付近と言われています。現在は埋め立てなどにより地形が変化していますが当時は風景的に目の前に島原半島や天草が広がり風光明媚だったことでしょう。なんせ明治の頃はリゾートホテルがあった頃ですから。。

写真でバスが走っているあたりが昔は岬上の地形で恵比須崎だったようです。
その右手に見えるのが現在の茂木港の桟橋、そしてその先が赤崎鼻、その先に島原半島がうっすら見えます。

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こちらの写真ですがかろうじて別邸跡の一部である茂木郵便局が写っています。郵便局ができる前は海側に当時の石垣も残されていたようですが現在は残念ながら残されていません。さて明治になると茂木は外国人保養地として注目され、別邸跡(当時は庄屋屋敷)に明治39年に茂木ホテル(昭和2年からはビーチホテル)が建てられています。残念ながらこのホテルは昭和56年に解体されたようです。

そのホテルの先端(恵比須崎)に当時は茂木港の桟橋があり、小浜や天草、島原、三角へ航路があったようです。
今もなんとか茂木港は多少北浦寄りに移動してますが天草航路は残されています。もともと長崎と関係が深い天草ですから個人的にも航路が存続することを願っています。私は1度だけですが茂木から天草航路往復利用してます。

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写真は若菜川と弁天橋になります。右端が茂木ホテル跡になります。
さて地名の恵比須崎ですが茂木の小字にもない地名です。

ただ伊能忠敬の測量日記には恵比須崎ならびに恵比須社が記載されています。
現在も茂木港近くに小さい恵比須神社があるので間違いなく以前は神社近くの岬が恵比須崎と呼ばれていたと思われます。
地名の由来はもちろん現在も残る恵比須神社が近くにある岬であることから名づけられたと思われます。

今日は茂木の恵比須崎のお話でした。







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