池島港になった鏡ヶ池 神浦村池島郷

角力灘に浮かぶ石炭の島も今は静かな島に落ち着いていることでしょう。
もう閉山から20年近くが経った西彼池島です。私ももう10年ほど池島へ行ってません。

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閉山が他の炭鉱に比べ遅いこともあり比較的炭鉱遺産が残っていることもあり近年さるくツアーやブラタモリでの放送もあり、それなりに賑わっているのかもしれません。写真集もありますしね(持ってます・笑)
ところでこの池島、島の名の通り、島にあった鏡ヶ池が島の語源になっています。残念ながらこの鏡ヶ池は現在存在せず、池島港に生まれ変わっています。昭和27年に池島の炭鉱開発が始まり、石炭の積み出し港の必要性から時期は明確ではありませんが池が開削されたようです。

ちなみに神功皇后の伝説もあるようで鏡の池とも呼ばれたようですが私はどうもこの長崎各地に残る神功皇后の伝説は信じられません。
ところで、池島は伊能大図にももちろん記載され測量日記にも池島の名は出てきます。大村藩の大村郷村記によれば江戸時代後半に人家106軒、船38と記載があるようです。また鏡の池に関しても郷村記には水は少し潮気があるが清浄とあります。
島民にとっては貴重な水だったことでしょう。

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こちらの画像は戦後間もない1947年の池島の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
まだ池島炭鉱開発前なので鏡ヶ池(鏡の池)がしっかり残っています。画像ではわかりずらいですが当時は写真池島文字の右斜め下付近にある郷付近に集落が見られる程度です。

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こちらは炭鉱時代全盛の1975年の池島空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
当然ですが池島炭鉱ができ、島内が大きく変化しています。鏡ヶ池は池島港になり多くの炭住アパート群が存在しています。画像①は未だに現役の池島小中学校、②は池島神社、③は池島の商店街、新店街があった付近になります。

今日は池島にあった鏡ヶ池のお話でした。
またあの可愛い連絡船に乗って池島を旅したいものです♪

っていうかこの10月、くんちはないので仕方ないですが抜海駅のイベント、新十津川駅のさよならイベント
あぁ行きたかったなぁ~。。。(涙)
行ける人が羨ましい♪
まぁ~行く人は行くのは分かりますがね。。。。。

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