時津の埋め立てで消えた岬 久留里崎 

今日朝ドラのエールを見ていたら長崎の昔のCGが出てちょっとトキメキました。
電波塔のない稲佐山もとっても魅力的♪

今日は時津の久留里崎、現在も住所として久留里郷は残っていますし、久留里、先久留里バス停があります。
今では残念ながら無くなりましたが昔は造船所職員のためか立神から夕方に2本の先久留里行きのバスがありました。夕方、家に帰る途中に住吉で先久留里行きを見ると宮浦行きや出津行きのバス同様に胸がときめいていましたね(笑)

久留里、地名の響きも当て字も好きです。そういえば房総半島にはJR久留里線がありますが首都圏にしてはとってもローカルでいい路線でした。久留里駅も昔の木造駅舎が残っていたことなどをつい思い出します。南総里見八犬伝で知られる里見氏の居城が久留里城です。
さて、久留里の地名ですが転回所や周りをぐるりと海などに囲まれた地形などに使われる地名です。

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こちらは昭和37年の時津町久留里郷付近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
現在と違って時津を出ると国道がしばらく海沿いを走っていたことに驚きます。今は時津出たすぐに橋ぐらいからしか海見えませんからね。
この空中写真を見れば久留里崎がくるりと海を周りに囲まれた 岬だったことが伺い知れます。別に久留里が道の分岐点や転回場所でないことからこの久留里崎が久留里の地名の語源になったと考えられます。

この久留里、伊能大図にも記載され、測量日記には久留里の他、久留里崎の地名も記載されています。

ちなみに久留里崎の横に永ノ浦の地名がありますが、この場所には大村湾に流入する久留里川があることからその川(江)からえのうら又はえの添え語としていが入りえいのうらと呼ばれるようになり、現在の永ノ浦の字が使われるようになったのではないでしょうか。また先久留里は久留里郷の先端からきた可能性と元は久留里崎が語源になった可能性が考えられます。

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こちらは昭和50年頃の時津町久留里郷付近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
久留里崎半分埋め立てられ、先久留里から佐底、時津港までかなり埋め立てが進んでいます。一方先久留里より先はまだ海岸線が残っています。この当時の記憶は残念ながら私にはありません。親に連れられてバスでよく行ったのは茂木方面9割の三重方面が1割で内海に釣りで行ったことはないので結局用事がなく時津方面に行った記憶は殆どありませんでした。

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こちらは2010年の時津町久留里郷付近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
埋め立て完了といいますか、これがほぼ現在の時津や久留里周辺と思われますが久留里崎より先の琴海方面もしっかり埋め立てが進み海岸線の変化が分かります。今は時津新開地区もお店も多く便利な場所です。元久留里崎文字左が現在の久留里崎です。永の浦公園文字の真上附近が公園でその先を流れる川が久留里川です。
伊能忠敬の測量日記にも出てきた久留里崎も先端部はしっかり埋め立てられましたが空中写真でなんとかその片鱗を伺い知ることができます。

時津と言えば時津饅頭ですが(笑)久留里崎もお忘れなく、残った部分を探しに散歩するのもしいかもしれません♪
この記事がきっかけでも密になることなどあり得ないでしょうし(大笑)
今日は時津の久留里崎のお話でした。

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