大井手(西浦上村家野郷 大井手) 西浦上小にあった軍気球陣地?

読書の秋♪「復元 被爆直前の長崎」を見て驚いたことのひとつに我が母校である西浦上小学校のことがあります。
戦時中は今の付属のあった場所に学校があったのでした。てっきりバイパス口にある今の場所に当初からあるものと勝手に思い込んでいました。(汗)そう思っていた卒業生だって今では多いと思いますが。。。

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また現在の西浦上小があった場所は本の地図を見るとほぼ田んぼなのですが小さいながらも軍気球陣地なるものが見えます。
はて??なんぞや?ちなみに近くには三菱の大きな軍需工場があったことから恐らくは海軍関係の施設だったのではと思います。一応軍需工場の防空のためにスズメの涙ほどですが機銃陣地が工場の三方にあったようです。

気球というと日露戦争時の旅順要塞の観測で使われたのは結構知られていますが、その後も主に観測用として利用されていたようですが航空機の発達で活用されなくなっており、敗戦末期の風船爆弾を活用したことが知られるぐらいです。
さて西小にあった陣地はどうなのしょうか。。地図を見ると一応建物はあったようですが。。。

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上記写真は1948年に撮影された西浦上村家野郷大井手附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。画像の下方向が長崎市内方面、①は現在の西小並びに軍気球陣地のあった地点、画像をよく確認しましたがこの写真が撮られるころに建物は残っていませんでした。②は戦時中に西浦上国民学校のある位置です。

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上記写真は2010年に撮影された西浦上村家野郷大井手附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。上の空中写真とほぼ同じ場所になります。①のあった地点付近が軍気球陣地と書かれた地点になります。

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写真右側の校舎の後ろ辺りが軍気球陣地、私が通っていたころは給食室横のペット小屋附近あたりでしょうか。さて気球の話をもう少しすると観測の他にも防空のための防空気球(阻塞)がありこちらは急降下爆撃の侵入を防ぐ目的に設置された気球で日本でも本土で利用されたことが分かっています。もしかすればですが、川平方面からの急降下爆撃機による大橋工場や近くで建設中(戦時中に完成)の浦上ダムを守るために設置された可能性はあるかもしれません。あとは今のお役所でもあることですが、防空隊の施設として機銃陣地などどともにセットとしてハコモノだけ一応設置した可能性もあるかもしれません。本当は現地在住の古老数名から話を聞いて地域の歴史として残すことが一番大事なんでしょうね。

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さて今度は地名の話、現在の西浦上小学校のある大井手地区ですが本にも出ていますが井手は堰や水路を意味する地名の用語でもあります。実際、この「復元 被爆直前の長崎」には浦上川から2つの堰があり付属小方面に水を流していたとの記載があります。その大きい井手(堰)が語源で大井手の地名となったことが分かります。
今日は西浦上村の大井手のお話でした。

さて今日はグッパイ ハロイン♪
元々日本にはないし、日本ではただのコスプレバカ騒ぎ祭りになっていることを考えるとコロナ渦を考え、ハロインがこのまま日本から去ってくれると個人的には嬉しい♪ 

付記

記事を書いた後ですが、西浦上小学校のあった場所は同じ家野郷 問山(といやま)だったことが分かりました。お詫びして訂正いたします。私の地図の読み違えによるミスです。今後も注意したいと思います。尚、西浦上小学校より浦上川を隔てた場所は大井手で間違いなく、現在の大井手バス停も大井手があった地内にあります。

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