船蔵(浦上山里村馬込郷 船蔵) 日本一忙しいバス停の宝町バス停

路線バスの台数が多いのは西鉄や神奈川中央交通などが有名なようですが日本一の路線バスが多く停車するバス停は以外にも長崎市の宝町バス停と言われています。(もしかしたら違う可能性もありますが)まぁ~日本有数であることには間違いありません。

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なんせ行けば分かると思いますが日中は待たなくてもバスがすぐに来るようなところです。市内の主要メイン道路が1本しかないから街へ出るなら通らざろうえないためです(笑)これも長崎らしさのひとつかもしれませんね。

その宝町付近も、どか~~んと突然長崎新幹線のトンネル口や高架線ができて大きく風景的には変貌してきました。
そんな新幹線の出口付近にあったのが長崎奉行所の御用船用の船蔵です。1647年に建てられ時期により多少違いますが大きな船蔵が5棟ほどあり、その中に御用船が収納されていたようです。普請には福岡藩が当たったようです。今も地名としては御船蔵町という地名が残され、馬込郷の馬込も馬込橋として地名は残されていることは評価できます。

江戸時代は浦上山里村だったようで、長崎市のおくんち関係以外の町は浦上の地名だらけであったことが伺い知れます。伊能大図には船蔵の地名は見えませんが浦上山里村の記述があり、測量日記には馬込郷や御船蔵や御船番所の記述がみられます。

地名に関して船蔵の地名はもちろんこの幕府のための御船蔵があったことが地名の由来です。また馬込は馬を込める場所があったことや谷間にも使われる地名です。地形的にも谷間ですが時津街道沿いの入り口付近でもあるので街道を往来するための馬を止め置く場所が地名の由来の可能性が高いと思われます。

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上記写真は2010年に撮影された浦上山里村馬込郷船蔵附近(長崎市御船蔵町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。さて御船蔵の場所の位置ですが恐らくは画像の位置附近、ガストと塾の間にあったと推定されます。江戸時代の絵図を見ると2つの小さな河川や崖に囲まれた谷間の地形に御船蔵があったことが伺いしれます。空中写真や地形図からの推定ですが恐らくはこの推定地にあったと思います。今は日本一路線バスが多く行き交う場所も昔は長崎湾に面した船蔵のあった場所でした。

今日は御船蔵のおはなしでした。

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