
上記写真は昭和50年に撮影された横瀬浦村本郷 銭亀(西海市西海町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。場所は南蛮船渡来で有名な横瀬浦のすぐお隣(東側)にあります。伊能大図にも銭亀浦の記載があり、測量日記には、獅子首鼻(恐らく猪ノ首鼻)、銭亀浦、銭亀鼻、丸崎の地名が出てきます。
さて空中写真でも分かると思いますがこちらには戦時中に帝国海軍の横瀬海軍貯油所が設置されており当時は東洋一の重油タンクと言われたようです(西海町郷土誌)、まぁ~対岸には帝国海軍の重要な基地や佐世保海軍工廠もあったので戦略上の意味なども勘案して対岸にあるこの銭亀に選定されたのでしょう。
さて空中写真を見てもわかりますが、昭和50年代には銭亀浦自体は当時の姿を残しています。ところが現在は空中写真を見てびっくり銭亀浦が埋め立てられ消失していました(涙)もちろん、現在は米軍の貯油所になっているこの占領された土地に自由に行けるはずもありませんが。。。

上記写真は平成16年に撮影された横瀬浦村本郷 銭亀(西海市西海町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。見ての通りです。。。銭亀浦だけが綺麗に埋め立てられています。もちろん銭亀はウミガメではありませんので銭亀の生態には影響はないと思いますが。。。現在はニュースもでも確かにLCAC の基地や騒音問題などで見た米軍の横瀬基地でしたが、ニュースで出ていた場所が銭亀浦だったとは地名を調べていたので知ることができました。LCAC なんてなんだけニュースの記憶だとホバークラフトのような揚陸艇だったと思います。亀さんも近くにいたら、「こんなうるせ~処は御免だぜぇ」と別の場所に移動しそうですね。
さて銭亀の地名ですがやはり字のごとく銭亀の生息が多い地域だったのでしょう。たんぼや川など海以外の水辺に亀さんが気持ちよく生息した場所だったと思われます。ちなみに近くの丸崎鼻は空中写真を見ると分かりやすいですが丸い岬の形状からつけられた岬名でしょう。また獅子首鼻ですが、獅子はイノシシのことでもありますので岬の形が猪の頭部分に見える場合や猪の生息が多かったので名づけられた可能性がありそうです。
今日は横瀬浦横にあった銭亀浦のお話でした。そういえば元の長崎県庁横には横瀬浦町がありました。ぜひ復活してほしい歴史の詰まった地名です。万才町より私は横瀬浦町のほうがとても個人的には好きです。
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