鯨ノ浦(黒瀬村大島郷 鯨ノ浦) 捕鯨の島(西彼大島)にあった鯨地名

今日は西大島にある小字地名「鯨ノ浦」のおはなしです。

0839.jpg

写真は大島浦の南側にある鯨ノ浦付近の海岸線(写真、新しいものに差し替え)
場所は西彼大島の西大島地区、さいかい交通の西大島バス停付近になります。今でこそ西大島と名乗っていますが昔はこの地が大島の中心地だっとことは、ここが大島郷であり、大島神社があることでも分かると思います。炭鉱が栄えたおかげで現在は東側が中心地になっています。明治以降は炭坑で賑わった大島ですが、江戸時代はお隣の崎戸と同じく捕鯨が盛んな島でした。

その名残がこの鯨の浦という小字地名で分かります。江戸時代の大島の玄関口(西大島)はきっと鯨漁で賑わった時代もあったのでしょう。だからこそ鯨の浦の名があったと思います。別にこの浦に鯨岩があるわけでもなく、鯨の形をした浦でないことを考えても浦(地名)の由来が鯨漁が盛んだったことや鯨を陸揚げした場所などが由来になったと考えられます。

伊能大図には大島と書かれ、鯨の浦の場所に船の絵が描かれています。また測量日記には大島浦と記載があり、大島浦とも呼ばれていたことが分かります。

21.jpg

上記写真は昭和50年に撮影された黒瀬村大島郷 鯨の浦(西海市大島町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。画像の鯨の浦文字部分が小字としての鯨の浦の位置になります。恐らくは浦全体の呼び名として鯨の浦の名があった時代もあったと考えられます。また対岸に宮の浦の小字がありますが、こちらは大島神社のある宮に近い浦が由来と考えられます。また①はさいかい交通の西大島バス停付近です。

鯨の浦、鯨好きなので好きな地名です。バスの行き先も鯨の浦なんてあったら恰好がよかったのになんて妄想します(笑)そういえば、北海道の利尻や礼文島にも鯨にちなんだ、フンベ、ポロフンべといった地名があることを思い出します。ちなみにアイヌ語でフンベは鯨を意味します。昔は給食のおかずにもあった鯨ですが今では高級品、個人的には鯨の竜田揚げなんて最高に好きでしたが。。。もう何年も食べてません(涙)

もう地元でも鯨の浦の存在すら忘れられている地名かもしれませんが、大島の歴史を感じさせる素晴らしい地名ではないでしょうか。
今日は西彼大島の鯨の浦のお話でした。

この記事へのコメント