江戸時代の長崎古地図をいろいろ見ていると祝浦の表記のものもあり、なんともおめでたい地名だと思いました。最近、この埋め立てられた岩井浦の先端にローソンができたのでいつも利用している方もいるかもしれません。場所的には女神と戸町の間、バス停でいえば金鍔附近にあった浦になります。金鍔次兵衛さんも洞窟からたまにこの岩井浦を眺めていたのかもしれません。
伊能大図には残念ながら岩井浦の記載はありませんが測量日記には戸町崎や岩井浦の記載があります。
上記写真は2010年に撮影された戸町村下郷 岩井ノ浦(長崎市戸町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。近くには女神大橋がある場所です。現在、岩井ノ浦の場所は埋め立てられコンビニやヤマト運輸、倉庫などになっています。尚戦後すぐの昭和20年代前半の空中写真を見ても岩井浦はすでに埋め立てられていました。
岩井ノ浦の地名の由来ですが、最初はトイレで見たカタカナのイワイノ浦から想像して何か目出度いことや、伊王島関連、硫黄?など考えましたが岩井ノ浦の字を見て、岩間の泉などを岩井とも言いますのでこの岩井ノ浦周辺の岩から飲み水に使う泉があり、それが岩井ノ浦の由来になったのではないでしょうか。飲み水があればこそ、金鍔次兵衛さんも洞窟で潜伏できたのでは考えてしまいます。もちろん近くに女神もありますので神を祭る意味からイワイノ浦となり、当て字として岩井が用いられた可能性もあると思います。
今日は戸町村にあった岩井ノ浦のお話でした。
この記事へのコメント