飯小島(崎戸村蠣浦郷 飯小島) 江戸時代には存在した飯小島

お陰様で大好評?の崎戸シリーズ、たぶん数万人の方が見てくれることでしょう♪(うそ)
今日はそんな崎戸の蠣ノ浦島に江戸時代にはあった島の話です。

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写真は対岸から見た飯小島のあった海域とさいかい交通の崎戸本郷行き今は亡き1213号、対岸の福浦地区の船や倉庫のあるあたりが小字の小島付近です。埋め立てられ当時の姿は残っていません。崎戸炭鉱の一坑(蠣浦坑)や三坑(福浦坑)が近くにあるためこの周辺は石炭の積み出しで賑わった海域です。そんな崎戸の近代化の浪に揉まれ時期は分かりませんが小島自体は消失しています。

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現在もこの福浦地区の港は炭鉱閉山後も利用されています。写真のような船の往来を考えれば、狭い海域であることを考えると飯小島が航行の難所になっていたことは間違いなく、崎戸の最盛期の人口が2万5千を超えるほどだったことを考えても小島の撤去または(埋め立て)は仕方がなかったと考えられます。

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写真は崎戸大橋から見た小島のあった海域、さて飯小島という可愛らしい地名ですが伊能忠敬の測量日記に出てくる地名です。飯小島は1周30間との記載があります。30間は約50メートル超えるぐらいの小島であったことが分かります。飯の名があるぐらいですから美味しいご飯をもったような優しいなだらかな小島の風景が目に浮かびます。飯の地名といえば飯香浦もいいですが豪雪の飯豊山系も目に浮かびます。飯小島なんて他にもありそうな島名と思いましたが他にはなさげです。

さてこの飯小島ですが、伊能大図にも地名は記載されてませんが小さい点でしっかり記されています。また測量日記には小島崎の地名も見られます。そのあとに福ノ浦(福浦)の地名があることからも位置的には永ノ浦と福浦の間にあることは間違いなく、小字の位置も永ノ浦と福浦の間の小字(住所)に小島が存在していました。

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上記写真は1975年に撮影された崎戸村蠣浦郷 飯小島(西海市崎戸町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。〇の周辺が飯小島のあった海域附近、恐らく積みだし港のため埋め立てられたと推定されます。大きな画像を見ると〇の海域には船とともに島らしきものも見えますがもしかしたら飯小島の可能性もありますが一坑桟橋の可能性もありそうでした。

コロナもあり、現地で資料を確かめられない点が残念でもあります。ただ小字や江戸時代の文献がしめすように福浦の近くに飯小島(小島)が存在したことは間違いありません。もう小島の存在を知っている方も少ないかもしれません。

今日は崎戸にあった飯小島のおはなしでした。

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