今日ご紹介する地名は江戸期には見られる地名です。
小字にも見られないことから明治期にはあまり使われなくなった可能性が高いかもしれません。近くの小菅浦にはソロバンドックができ海岸線が変容しています。なんせ明治元年完成とほぼ江戸末期のドックです。場所はソロバンドックより北側(長崎駅方向)の海岸線と推定されます。バスだと長崎バスの南部方面、戸町経由が通る古河町バス停付近です。上の写真にも小さく長崎バスが写っています。
こちらの地図は1802年の肥前長崎図の復刻盤ポスター(長崎文献社)より引用。この地図からもおおまかな場所が分かります。ソロバンドックは勿論完成前ありませんが国分町にある戸町番所(東泊番所)の記載があります。伊能大図には記載がありませんが測量日記には汐ハヤリ崎の記載があります。恐らくシホハヤリの岬部分が汐ハヤリ崎と呼ばれたこともあったのでしょう。
こちらは戸町番所跡(国分町)から見た汐ハヤリ崎方面、ソロバンドックの建設、その後の道路設置などのため当時の海岸線が失われています。緑のある部分が江戸期にはそのまま岬(汐ハヤリ崎)になっていたのかもしれません。
上記写真は2010年に撮影された戸町村下郷 シホハヤリ(長崎市古河町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
さてシホハヤリの地名の由来ですが、シホは間違いなく伊能の測量日記にもみられるように汐(潮)が由来でハヤリは速水(はやみ)などの転訛と考えられそうです。シホハヤリはその付近の海域が潮の流れが速いことから海の難所であり、長崎港も近いことから往来する船も多いことから名付けられた地名と思われます。地形の変化や船の近代化などで難所でもなくなり次第に地名として使われらくなった地名と思われます。
今日は戸町村下郷のシホハヤリのお話でした。
そういえば、以前紹介した岩井ノ浦は浪の平郷ではなく下郷でした。申し訳ございません。早速修正いたします。
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