簗(浦上山里村中野郷) シロウオ漁盛んな簗ん川

3月6日の長崎新聞に県北の佐々川のシロウオ漁の記事が写真付きで掲載されていました。春の訪れを感じさせるシロウオ漁といえば、思い出すのは浦上川、古写真や長崎名勝図絵の「浦上村白魚簗」を思い出します。

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場所は、写真でだいたい分かると思いますが大橋球場から市民プールあたりに沿った浦上川沿いです。ちょうど浦上川が大きく緩やかに曲がっている場所です。今では河川改修され随分昔と趣が違いますが原爆前まではシロウオをはじめ川漁が盛んな清流だったようです。古写真がどの辺りで撮られたのか気にはなりましたが当時は分かりませんでした。長崎名勝図絵にはしっかりこの浦上川の簗が「簗の白魚」として出てきます、流れは清く深くなく川の中の所々に網を入れて白魚をとりわら小屋を建てて作業場とするといったことが記されています。ちなみに伊能忠敬は近くの浦上街道を通っていますが測量日記には出てこない地名です。

地名の「簗」の由来は、シロウオ漁のための簗があったことで間違いないでしょう。

現在も、地名としては平和公園と城山小学校を結ぶ浦上川にかかる簗橋として名を残しています。この界隈では市民プールによく通っていたことを思い出します。カナヅチで泳げなかった私は知らぬ間にスイミングクラブに入れられ夏休みも教育委員会主催の水泳教室に行きたくないのに入れられ拷問のような夏休みを感じたときもありました(笑)

ただスイミングクラブは夏休み限定のものと違い、1年中で週に2~3回通っていたと思いました。男の先生もいましたが若く美しく優しい先生もいて結構いい思い出があります(笑)お陰で泳げるようになった思い出の場所でもあります。まさかその先の場所で昔は簗を使ったシロウオ漁が盛んだったとは当時は思いもつきませんでした。

原爆がなければまだシロウオ漁ができる浦上川だった可能性も充分ありそうです。私が通った小学校の校歌の2番は「浦上川のみなもとの~清きせせらぎ~朝夕べ~♪」でしたが、当時は汚いイメージしかありませんでした。教師の話で昔の浦上川は綺麗で泳いだり、魚と取って食べた話を聞いて信じられないと思ったものです。

流石に泳ごうなどとは夢にも思いませんが、釣りや網で魚を釣ったりすくった経験は西小下の浦上川で経験があります。水害後はなんだか急に水が澄んで沢山の魚だらけの川になって、沢山の子供たちが川遊びを楽しんでいました。私も毎日のように通い、網で錦鯉もすくったこともありましたが流石に大きいしそのまま戻しました。(学校の池から脱走した鯉かもしれません)、よくハヤやブルーギルを釣ってました。

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こちらは明治34年陸測図「長崎」(今昔マップ on the webより)
鉄道こそ通っていますが簗周辺は田んぼばかりですが川沿いに建物が並んでいるのが分かります、もしかしたら簗漁に関連する建物だった可能性もありそうです。

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上記写真は2010年に撮影された浦上山里村 中野郷 簗附近(長崎市松山町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。明治時代と違い、簗周辺はスポーツ施設に生まれ変わっています。

今日は浦上川を語るうえで外せない簗のシロウオ漁に因んだおはなしでした。

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