路面電車5番系統の終点 戸町村大浦郷 石橋

長崎で石橋と言えば、私の場合は市内を走る路面電車(チンチン電車)の終点石橋を思い浮かべます。長崎の場合は中島川にかかる石橋群があるのであちらを思い浮かべる方も多いかもしれませんが今日は大浦にある石橋です。

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写真は大浦電停のすぐ後ろ(出雲町方向)にある長崎バスの石橋バス停、道路がこの周辺でもっこりとしているのがブラタモリでも紹介された石橋(大浦橋)が道路下に眠っている場所です。石橋は厳密にいえば、町名もなく、字名にもなく橋の名が地名として定着したといえます。その石橋の名の定着に一番貢献したのが恐らくは路面電車の終点であったことやそのため行き先や方向幕に石橋の名が記されたことが大きかったと思われます。ちなみにバス近くにある日本ハムの店舗、実に昭和を感じさせるいい雰囲気で個人的にもぜひ頑張ってほしいです♪

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写真は石橋終点、朝の通勤時のため多くの待ち客がいます。現在の場所に電停ができたのは大正6年ですが当初は出雲町の名称だったようです。昭和5年に出雲町から大浦石橋に改称し、昭和58年に現在の石橋になりましたが、大浦石橋時代から、電車の方向幕は石橋だったので石橋が地名として知名度を得たことと思います。もし出雲町のままだったら、道路下に眠る大浦橋のように忘れられるかもともと地名として定着しなかった可能性もあるかもしれません。

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写真は大浦沿いを走る8000系電車、後ろには石橋の終点が見えます。さて大浦にかかる橋ですが江戸時代から橋が絵図等で架かっているのが分かっています。また幕末の古写真にも写っています。詳しくはリンクにある「みさき道人 "長崎・佐賀・天草etc.風来紀行"」のブログで確認できます。ちなみに伊能大図や測量日記に大浦橋の記載はありません。

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こちらの地図は1802年の肥前長崎図の復刻盤ポスター(長崎文献社)より引用。この地図からも戸町道として大浦にかかる橋を確認できます。最後に石橋の地名の由来は明治初期頃に木橋だった大浦橋が石橋に変わったこと(現在の道路下に眠る石橋は明治19年のものです。)恐らく、外国人居留地になって賑わう南山手に向かう橋として木橋だった大浦橋が石橋に作り替えられ、さらに物流の増加で現在の道路下に眠る石橋に増強され、その石橋の名を長崎電気軌道が電停や行き先として採用したことが現在の石橋の地名につながっています。

今日は大浦の道路下に眠る石橋(大浦橋)のおはなしでした。

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