場所は西彼町の宮浦郷の沖合にあります。長崎バスの宮浦バス停から亀浦方面に歩いて10分ほどの場所にあります。私などは亀浦から宮浦まで2度ほどさんぽしたときにこのヒギレ島の写真を撮っています。どちらも長崎バスで行くには難易度の高い路線ですが昼間の新地発亀浦行きに乗り、亀浦から宮浦まで歩いて、しばらく待てば新地行きが来るのでよほどゆっくりしない限り充分間に合います。21年度のダイヤ改正で大幅減便になった長崎バスですが今のところ、このルート少なくとも平日は可能なようです。
写真手前に浮かぶヒギレ島、写真で見て分かるように西彼杵半島と少なくとも干潮時は繋がって渡ることが可能な島であることが分かります。
こちらは別の時期に撮ったヒギレ島、満潮時に近いためか?歩いて渡るには厳しい状態です。さてこのヒギレ島ですが、伊能大図にも小さく満切島と記載があります。また測量日記にも同様の記載があります。このことからこの島の由来が分かります。潮が満ちると切れる島であることから(潮)満ち切れ島となり、それが時代とともに転訛して現在はヒギレとなったことが考えられます。
また可能性は少ないですが島が引き入れられそうなほど半島と時間により結ばれていることから引き入れがヒギレになった可能性もあるかもしれません。どちらにせよ、この島の特徴を充分表した島名であることに違いありません。
上記写真は1975年に撮影された亀浦村宮浦郷 ヒギレ島(西彼町宮浦郷)、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。こちらの空中写真を見ても干潮時に撮られたのか西彼杵半島とヒギレ島がつながっているようにも見えまし、島と半島の間が浅瀬であることが分かります。
ヒギレ島は波静かな大村湾の中に浮かぶ小島、外海(そとめ)のように荒々しい海に面した場所になかったからこそ、今でもこのように半島と島がつながる形が昔と変わらず残っているとも言えます。波の高い場所や流氷が来るような場所にあれば間違いなく浸食が進み、船でしか渡れなくなりそうな島とも言えます。
波や流氷の浸食などにより消失したと思われるエサンベ北鼻小島に比べ充分恵まれた環境と言えます(笑)
今日は、スターでも購入しない限りたぶん話題にもなかなかなるのが難しい宮浦郷にあるヒギレ島のおはなしでした。
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