こちらの画像が池島の西側から見た大蟇島と手前左側には大蟇島に重なって見える小蟇島です。両島合わせて蟇島とも呼ばれたり沖ノ島と呼ばれることもあります。また蟇島右側の遠方には五島列島の一部が小さく写っています。
無人島の大蟇島・小蟇島ですが大蟇島の地下には池島炭鉱の坑道が伸びていた関係で換気のための立坑や巨大な扇風機があったようです。写真の大蟇島右側に写る白い点が恐らく炭鉱関連の施設かもしれません、それにしても蟇島の蟇字はあまりお目にかからない字です。
大蟇島でも周囲が2.6Kほど、小蟇島は周囲500メートルほどの小さい島ですがどちらの島も伊能大図に掲載され測量日記にも大蟇島は蟇島、小蟇島は満切島と掲載された島です。
ここで満切島と紹介された小蟇島ですが、以前このブログで紹介した内海側にある西彼町宮浦郷のヒギレ島を思い出します。あの島も実は伊能忠敬の測量日記では同じ満切島であり、島が満潮の場合は島と西彼杵半島が離れた状態になります。
要するに潮が満ちることで島と西彼杵半島が切れた状態になります。それが満切の状態ですが、今回の大蟇島、小蟇島の場合は、ヒギレ島と違って、島と半島ではなく島と島の間が満潮時以外は繋がっていて、満潮時や波が高い時などは島と島が満切れ状態になることが共通しています。そのことからこの大蟇島と小蟇島の島名の由来がこの満切がきたものと推定できます。
満切状態にある島が、内海の場合は時代とともに転訛してヒギレとなり、外海の場合はさらにレが取れた状態でヒキ島と変化したように考えられます。
上記写真は1975年に撮影された神浦村池島郷村 大蟇島 小蟇島(長崎市池島町)、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。こちらの空中写真を見ても大蟇島と小蟇島がほぼ繋がっているように見えます。大蟇島側には炭鉱施設と思われるものが写っています。
蛇足ですが大蟇島の左端斜め上に見える小さな岩礁には地名図でツッツル瀬と記されています。恐らく海藻にでも覆われツルツルして滑りやすいことから名付けられたようないいネーミングの瀬です。
今日は池島の沖合に浮かぶ親子島ともいえる大蟇島と小蟇島のおはなしでした。
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