大村湾の真珠 長浦村長浦郷 七百島

佐世保には西海国立公園にもなっている名勝九十九島がありますが、大村湾にはなんと数字的には九十九島をはるかに凌駕する七百島が存在します。今日はそんな七百島についてのおはなしです。

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こちらが長浦にある小島の浦からみた七百島です。天気があまりよくないので申し訳ない写真ですが九十九島の石岳展望台や展海峰の景観からすれば、残念ながら見劣りします。ちなみに対岸は尾戸半島になります。

そう多島海どころか島はひとつしかありません(笑)、そう七百島はひとつの島の島名なのです。島の周囲は200メートル以下の小さい島に過ぎませんが、意外にも伊能大図にはしっかりと七百島の記載があります。七百島の周辺ですが真珠の養殖が盛んなようで国道からも業者や養殖いかだを見ることができます。

さてここで大村湾で現在も続く真珠の養殖について、日本でも古事記や日本書紀、万葉集などにも真珠が出てくるように昔から珍重されたようですが真珠の養殖自体が始まったのは、明治後期のようです。養殖などしなくてももちろん真珠自体は大村湾でも昔から採取されていたようで、大村郷村記にも、大串や小串(川棚町)、川棚、音琴(東彼杵町)の地名が記載されています。また価値が高いので当然の成り行きでしょうが取り締まりのための役どころもあったようです。

私など全く猫に真珠(小判)状態で、タダならもらってもいいレベルで真珠には興味すらなく銀玉鉄砲の玉と同レベルなのですが、現在でも女性には装飾品として1000円ガチャが話題になるようにまだ知名度を保っています。また真珠には古墳や寺院からの出土があるように仏教用語の七宝のひとつとして意味合いもあり、装飾品としての価値以外の価値もあったようです。

さて七百島の由来について考えたいと思います。最初はたんに島の周囲が七百尺なのかと推定しましたが島の周囲自体は140メートルほどしかなくとても七百尺には及びません。その他もいろいろ考えてみましたがこれといったものはなかなか思い浮かびません。ただ数字の七は目出度い美称として地名に使われることは普通にあります。

そこで何となく思い浮かぶのが現在もこの地で養殖が盛んな真珠です。あくまでも推定ですがこの七百島周辺で、昔(明治以前)から真珠の採取が行われたのではないでしょうか。そのため島名として目出度い七の字が使われ、またその周辺で多く取れることから数が多い意味で百の字が当てられ七百島となった可能性があるかもしれません。あるいは単に地元の方が七百尺ほどの大きさに見えて七百島となった可能性もあるかもしれませんが残念ながらこれと言った地名の由来について決定打がないことが残念ではあります。

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上記写真は2010年に撮影された長浦村長浦郷 七百島(長崎琴海町)、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。写真文字左の小さな島が七百島です。左側の対岸が小島の浦で周辺は真珠の養殖が盛んです。また右側が尾戸半島になります。

今日は内海にある小さな七百島のおはなしでした。


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