遠木場(三重村 遠木場郷) 焼畑地帯も今は団地

昭和60年代ごろだったと思いますが長崎バスの光風台行きバスが走り出しました。光の風?宗教がらみとは思いませんがなんだかテカってる地名に感じたものです。その光風台団地のある場所が今回紹介する三重村の遠木場(とおのこば)です。

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上記写真は1975年に撮影された三重村遠木場郷(長崎市鳴見町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。団地が造成される以前の遠木場、集落の周辺には畑が見られます。遠木場文字左に見える道路が三重方面の路線バスが走る道路です。

遠木場の地名ですが伊能大図には陌苅平村(あぜかりたいらむら)遠ノ木場郷と記されており江戸期からある地名です。ちなみに測量日記には内陸部のため記載はありません。

木場と言えば長崎市周辺では割と多くみられる地名で、長崎バスには川原木場や岬木場行き、バス停で言えば木場崎、先木場、平木場や今回紹介する遠の木場バス停など他にも見られます。昔、遠の木場行きのバスを見たことがあるのでスクールダイヤか何かで遠の木場行きのバスがあったのかもしれません。

この長崎に見られる木場地名に共通するのが山間の焼畑地帯であったことです。遠木場も恐らくは山間部の斜面を焼いて切り開き段々畑を築いたと考えられます。

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こちらは以前、白髪で紹介したときの地図と同じです、遠木場も左上部に載っています。昭和31年発行の地形図「今昔マップ on the web」より、遠木場の地名の由来ですが木場部分は焼畑を意味しますが遠の部分ですが、恐らくは峠の方にあるといった意味でとおげの木場が当て字や簡略化され遠木場となったように思えます。

例えばですが近江(ちかつあはうみ)の国と、遠江(とほつあはうみ)の国の関係のように都から見た位置的なものも考えましたが、三重村自体には他に木場地名が見られないので、(隣の式見村には先木場があります)恐らくは峠の方にある木場と考えられます。

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上記写真は2010年に撮影された三重村遠木場郷(長崎市鳴見町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。現在は大きく開発された遠木場地区、光風台経由のバスは遠の木場バス停を通らなくなりましたがそれでも1時間に2~3本はバスが走っているのはそれだけ長崎漁港開発による三重地区の人口増加が遠因でしょう。画像の団地名、光風台団地が正しいのですが町名とごっちゃになり鳴見台団地の標記になっておりました、ご了承くださいませ。

それにしても光風台、いかにも昭和期に開発された団地にありがちな地名と思えば千葉や大阪にも同名の駅があります。さすがに遠の木場団地では、長崎市内から遠い(確かに滑石峠を越える意味では遠い)といったイメージになり、木場など田舎を連想させる地名ではあるのでマーケティング的にはアウトだったと思いますが微妙です。

今日は三重村にあった遠木場のおはなしでした。



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