花見坂(浦上山里村里郷 花見坂) 坂の街、長崎にある忘れられた坂

長崎市は坂の街、私も長崎にいたころはいつも坂の上り下りが日常でした。今回は市内の方も恐らく殆ど知らない忘れられた坂のおはなしです。

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坂の名は花見坂と長崎という地を考えれば、有名人歌手の歌に使われてもいいようないい地名です。一歩間違っていればオランダ坂ほどではないにしろ小字にもある坂でしたので市民には知られた坂だった可能性は高かったかもしれません。場所は残念ながら推定ですが坂本外国人墓地付近にある坂です。

伊能忠敬の測量日記には字新馬込と字山王宿の間に里郷字花見坂と記されています。小字として残っていた時代の位置は新坂本国際墓地と道路を挟んだ山側の比較的狭い住宅地ですので、江戸期はもともと花見坂という坂があり周辺が里郷字花見坂と呼ばれていた地域が時代の変遷で小字花見坂となり字花見坂の一部が小字花見坂として残っていたのではないかと考えられます。

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こちらが新坂本国際墓地の天使様、写真の先に見える住宅地が字花見坂に該当する地域です。それにしても長崎で坂と言えばオランダ坂や祈念坂、県庁坂など沢山の坂がありますが花見坂なんて残っていればいい名の坂なのに知名度が全くないのが不思議です。なぜ忘れられたのか、そこも坂の名の由来に関わっていそうです。

今でこそ、この花見坂周辺は住宅街ですし周辺に高い建物も増え、見晴らしもあまりよくありませんが、江戸期がどうであったかを考えると建物など殆どなく1730年代後半に完成する浦上新田が無い頃は恐らく長崎港奥部の海を見下ろす風景が思い浮かびますし、浦上新田完成後は長崎の琵琶湖と呼ばれ蓮の花で有名であった新しい名所を見下ろす展望の場所だったと思われます。その浦上新田を展望するための坂が花(蓮)を見る目的のための坂として花見坂と呼ばれたように思えます。

残念ながら記録がないのでわかりませんが茶屋などあればいい名所になったのではないでしょうか。江戸時代の長崎観光ガイドともいうべき長崎名勝図絵にこそ花見坂の記述があって然るべきに思いますが残念ながら浦上新田を含め記載はありません。浦上新田完成後の1800年代に書かれたものですが、古きものを重視する姿勢が感じられる書物ですので新しいものは敢えて避けられたのかもしれません。

周辺には山王神社はありますが特段花の名所でもありませんし、浦上新田の蓮の花以外の花見をするような場所も他に見当たらないため、やはり浦上新田の花見のための坂であったことから名付けられた可能性が高いように思えます。

今日は長崎にあった良き名の花見坂のおはなしでした。

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