小曽根(戸町村浪ノ平郷 小曽根) 青函連絡船大雪丸ホテルの停泊地

青函トンネルの開通でなくなった青函連絡船、長崎とは遠く離れているため関係は薄く、大正時代に三菱造船所で造られた津軽丸や松前丸があるくらいです。そんな青函連絡船大雪丸が平成の一時代に長崎港でホテルとして停泊している時代がありました。

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それが浪ノ平郷小曽根(現長崎市小曽根町)です。長崎市内からも近く中心部からもバスで5分ほど、大浦からは徒歩圏内です。さて大雪丸の停泊していた場所ですが写真の奥の方に見える自動車販売のネッツさんとびっくりドンキーさんの間に停泊していました。確かホテルヴィクトリアと名乗っていたと思います。

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ホテル営業が残念ながら終了し、まもなく中国へ旅立つ前の大雪丸(涙)、大浦から撮った写真があるのですが現在スキャナーが壊れているためバス車中からたまたま撮ったボケ写真を使用しました、ご了承ください。もともとは東京ディズニーランド近くでホテル大雪丸として利用される予定が事情により長崎でホテルとして利用された経緯がありますが結局は中国に売却され残念な結果となりました。

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こちらは現役時代の大雪丸(函館にて自サイトより)、青函連絡船大雪丸には初めて北海道へ行った際の帰りの便で利用したことがありますので私にとっては思い出深い連絡船でしたので、長崎で再活用されると聞いた時はとても嬉しかった記憶があります。

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こちらは、大雪丸乗船時におした記念スタンプ、今思うと日付があるのでいい記念になります。

さてここからは小曽根の地名の話をしたいと思います。

小曽根の地名の由来ははっきりしており、本博多町の豪商で大河ドラマ龍馬伝にも出てきた小曽根乾堂が越前藩の貿易埠頭用に戸町村大浦郷堀ノ内の海岸を埋め立て、文久2年に埋め立て地の一部を居留地に編入する際に長崎奉行より埋め立て地内に私有地を許し、その功績を記念する町名を賜与たことが分かっています。

そんな幕末期にできた地名のため伊能大図や測量日記にも出てこない地名ですが、大浦郷堀ノ内の地名も小字として見られないことから幕末期に消滅した地名と思われます。時代とともに変遷する運命にある地名ですが幕末~明治にかけてもいろいろな地名が生まれる一方、失われた地名も数多くあったと考えられます。

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こちらも長崎バスの小曽根バス停(新地方面)、手前で戸町経由のバスと二本松口経由のバスが合流するため待ち時間もなく市内へ向かうことができます。

今日は小曽根乾堂さんと青函連絡船大雪丸ゆかりの小曽根のおはなしでした。

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