忠エ門落シ鼻(香焼村 忠エ門落シ鼻) 香焼蔭ノ尾島にある謎だらけの岬

香焼島にある蔭ノ尾島は、昭和40年代に今、売却で話題の三菱造船所のために埋めたてられた島です、その蔭ノ尾島の先端に忠エ門落シ鼻という気になる名の岬があります。忠エ門さんとは誰なのか。。。。しかも落とされたのか気になる名の岬です。

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造船所の左側に見える岬が忠エ門落シ鼻です。三菱造船所があるので香焼側からは行くことができないため、眺めるには船を使うしかありませんが、長崎港の入り口付近にあるため、高島、五島航路や端島(軍艦島)へ行く観光船からも見ることが可能です。

実はこの岬の場所、ダイバー(台場)ファンには知られていますが江戸時代の承応2年(1653年)に長崎港警備のために築かれた蔭ノ尾台場のある場所です。在来御台場の七番台場になります。さてはじめて地名を見たときは、キリシタンの処刑でも行われたのかと思いましたが、そのような記録は見当たりません。(今後文献など出てくる可能性も否定はできません)、ちなみに比較的近くにある神の島沖の高鉾島には1617年にキリシタンが処刑された記録が残されています。

もし、忠エ門さんが落とされた記録でも今後出てくれば岬の由来もはっきり分かりますが、今のところは謎です。またこの忠エ門落シ鼻の地名ですが七番台場のあった場所のためか過去の文献にも見当たりません。伊能忠敬の測量日記にも蔭ノ尾や長刀崎(なぎなたざき)の記述しかありませんし長崎名勝図絵にも蔭ノ尾が出てくるのみです。

しかも不思議なことにこの忠エ門落シ鼻ですが地形図に登場するのがなんと、1970年の地形図からで、それ以前の明治や大正の陸測図や戦後すぐの地形図では見当たらず、案外戦後に名付けられた岬名の可能性もありそうです。最近沢山の無名島が名付けられた事例もありますからね。とはいえ、最近とは思われないような岬名ではあります。

さて岬名にある忠エ門さんとはいったい誰なのか、これも謎です。これが牛右衛門でしたら長崎人ならすぐ分かるのですが(笑)、私が忠エ門に関して考えたのは江戸時代の長崎奉行、牛込忠左衛門です。1671年から1681年まで約10年長崎奉行だった方で地名で言えば鳴滝や梅香崎を命名したことでも知られる名奉行です。

もしかしたらこの名奉行牛込忠左衛門に因んで忠左衛門落シ鼻とするところが誤記載で現在の忠エ門落シ鼻になった可能性は充分ありえそうです。ただ牛込忠左衛門が奉行の時代にはすでに台場は築かれています。もしかしたら視察ぐらいは行った可能性はあるかもしれません。いぜれにしてもこの忠エ門落シ鼻がいったいいつからある地名なのかが一番疑問です。ちなみに落シ鼻ですが落シ部分は人を落とす意味ではなく地名としては崖などにつけられる地名用語です。鼻はもちろん岬を意味します。

そう考えると忠エ門落シ鼻は忠エ門さんに因んだ崖岬を意味します。ちなみに名奉行と言われた牛込忠左衛門は風流人であるため間違っても自分で自分の名のついた岬など名づけることはありえせんので、後世の人が名奉行を偲んで名付けた可能性はあるかもしれません。今後全国に万単位はいると言われる潜在的忠エ門落シ鼻ファンが地名の由来を研究すればはっきり由来がわかる時代が到来するやもしれません。

もし現代人が名付けた地名と仮定すると本当は忠左衛門ですが敢えて左の文字を落としているので忠左衛門鼻でなく忠エ門落シ鼻と謎解きのような地名にしことだって考えられないこともないですがたぶん考えすぎですね(笑)

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上記写真は2010年に撮影された香焼村 忠エ門落シ鼻(現:長崎市香焼町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用、長崎港の入り口付近にあるためすぐ隣には長刀岩台場(六番台場)があります。造船所があるため海上からしか眺めることしかできない点が残念なところです。

今日は香焼にある謎の岬 忠エ門落シ鼻のおはなしでした。

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