石原(三重村三重郷 石原) 三重番所・三重台場跡

全国のダイバー(台場)ファンの皆さま、お待たせ致しました、今回は大村藩領で三重番所や三重台場のあった石原を紹介したいと思います。長崎バスにも昔から石原行きがあるので市民の方も地名だけは何となく知っている方が多いかもしれません。

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三重・石原海岸を走る長崎バス、写真右端家屋の後ろにある小山が三重台場跡になります。三重番所も恐らくその周辺の海沿いにあったものと思われます。ちなみに長崎バスの石原行きは西海経由と畝刈(マリンヒル)経由があります。ちなみに西海経由は滑石トンネル開通前の大瀬戸行きの忘れ形見のような存在の路線ですが近年本数が激減しています。

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長崎バス石原バス停から三重港

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本数も1時間に数本あり市内に向かう利用者もそこそこいる三重石原

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石原バス停から三重港

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石原バス停付近より、さいかい交通の大瀬戸板の浦行き

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石原バス停付近より長崎バス、さて石原にあった三重番所並びに三重台場ですが番所は1636年に設置された小番所で海辺にあり番船などもおいて警戒にあたっていたようです。三重台場は幕末の1850年設置で長さは18間、横が2間あったようです。石火矢3門、鉄砲15挺の装備があったようです。同時代でいえば、レザノフレベルの異国船ならなんとか威嚇などの対応できた可能性がありそうな台場かもしれません。

伊能大図には三重村の記載しかなく測量日記にも残念ながら番所や石原の地名の記載は残念ながら見られません。石原の地名の由来ですが恐らく石原周辺の海岸が小石だらけであったことや原は場所の意で使われたように思えます。なので単に石の多い場所として石原となった可能性が高いと考えられます。

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上記写真は2010年に撮影された三重村三重郷石原(現:長崎市三重町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用、石原文字附近がバス停のある場所です。〇の小山部分が三重台場跡、三重番所は恐らく手前付近の海岸沿いにあったと思われます。平成になり石原や三重周辺の埋め立て状況が分かります。また大規模な団地開発でマリンヒル三京が誕生しています。

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上記写真は1975年に撮影された三重村三重郷石原(現:長崎市三重町)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用、こちらは昭和の埋め立て前の三重や石原の海岸が分かります。もちろんマリンヒル三京も開発前の姿です。

三重周辺に来ると本当に子どもの頃と風景が一変したなと思います。今日は台場や番所のあった三重・石原のおはなしでした。

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