椎立(西浦上村西郷 椎立) 三芳町にあったハゼ山機銃陣地

長崎本線が市内で浦上新線と旧線に分かれる場所が西町踏切ですが、その西町側は一段高い小山があります。そこには戦時中に三菱兵器大橋工場を守るために設置されたハゼ山機銃陣地がありました。きょうはハゼ山機銃陣地のあった椎立のおはなしです。

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写真はハゼ山陣地のあった場所です。現在学生援護会がある場所になります。実は中学時代に学生援護会に2年ほど通いました。新しい友人ができて個人的にはいい思い出ですが、元々出来が良くない私には効果的な援護射撃にならず受験に失敗した歴史があります(笑)

そんな通った塾が戦時中に機銃陣地があったことを知ったのはもちろん「復元!被爆直前の長崎」という名著があるお陰で今更ながら感謝でいっぱいです。ちなみに写真の壁にあるモニュメント板は原爆救援列車のものでこちらに関しては、音無を紹介するさいに書こうと思います。

ハゼ山機銃陣地ですが機銃は2基だったようです、敵の急降下爆撃機を威嚇する程度の効果はあったのでしょうか。もちろんB29のような大型爆撃機には全く効果はなかったことでしょう。元々射程距離を考えれば弾が全く届かないレベルだったことは間違いないと思います。

ハゼ山の由来ですが、ハゼというと私の場合は魚のハゼを思い浮かべますがこちらのハゼは恐らくウルシ科の櫨の木が由来で、櫨の木がある小山からハゼ山と呼ばれたのかもしれません。

次にハゼ山のあった場所は西浦上村西郷椎立(しいだち)と呼ばれる小字でした。小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも出てこない地名です。さて椎立の地名の由来について考えたいと思います。こちらも私は植物に由来して椎の木が立っていたことから単に椎立と呼ばれるようになり小字地名となったのかもしれません。ただハゼ山が地内にあるので、それでは櫨立でもよかったのではという議論も確かに出てきそうな話でもあります。ハゼ山自体は椎立の一部ですので、全体的には植生的に椎の木が多くあった、もしくは椎の木の大木があったことから椎立となったのかもしれません。いずれにせよ原爆の惨禍で植生は失われた事実は変わりません。

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上記写真は2010年に撮影された西浦上村西郷椎立(長崎市三芳町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。写真〇の部分がハゼ山機銃陣地があった場所になります。目の前に長崎本線西町踏切があります。ちょうどこの附近から長与方面へ向かう旧線と市布方面へ向かう新線が分かれ新線は九州最長の長崎トンネルに入ります。

今日はハゼ山機銃陣地があった椎立のおはなしでした。

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