こちらが今日紹介する漕網代付近から見た大村湾、竹島や鹿島もみえますし遠くには長崎空港になった箕島と結構風光明媚です、見ての通り旧線が通っているので運が良ければ列車を撮ることもできます。ただ本数は少ないし、時刻表すら持ち合わせず、スマホなどの最新機械に疎い私(笑)は、ただ風景を目に焼き付け記録写真を撮ることしかできませんでした。
さて漕網代(こぎあじろ)の地名ですが小さい小字地名ですので伊能大図や測量日記にももちろんできてきませんし、地形図にも掲載されたことがない地名ですが、個人的には生活感が伝わる好きな地名です。
早速、漕網代の地名の由来を考えたいと思います。漕ですが恐らくは漕ぐという意味で使われており草が繁茂した場所を漕ぎ分けていくような場所だと考えられます。また網代は網の代りという字ずらの通り、魚の寄ってくる場所に竹や柴などで仕掛けをつくり魚を追い込む漁場や定置網を仕掛ける場所などに使われる地名です。
漕網代もまさに、大村湾沿いにあった魚の集まる草むらの繁茂した場所にあった漁場からきた地名であることが分かります。北海道や東北に残るアイヌ語地名にはこういう当時の生活感を感じさせてくれる地名が多くあるのが特徴であり魅力であると思いますので和名の地名でも漢字だけで当時の生活感を感じさせてくえるような地名はとても魅力的に思えます。
いつも宮摺で磯釣りばかりしていた私には大村湾での磯釣りの経験はありません。なぜか運よく大村湾での舟釣りだけは2度ほど経験がありますが、1ッ匹だけ釣ったことはありますがそれだけでなんだか退屈だった記憶しかありません(笑)
上記写真は2010年に撮影された大草村元釜名 漕網代(諫早市多良見町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。大草駅と傘瀬鼻とのちょうど中間地点にあるのが漕網代です。長崎旧線が通っているので運が良ければ大村湾沿いの列車の撮影地にもなる場所です。
今日は大村湾にある漕網代のおはなしでした。
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