松島の先(画像右端)に写っているのが今回紹介する瓶ノ島です。なるべく自分の画像で対応したい私としては危なくギリギリ助かりました。
後日、松島航路(吉原港~瀬戸港)より撮影した瓶ノ島(中央やや左より)、右側には崎戸の島が写っています。
さて写真でも分かるように松島火力発電所の先にある標高23メートルの島が瓶ノ島です。(地形図状は陸測図時代よりビン島)、伊能大図にも同じ場所に恐らく瓶ノ島と思われる記載はありますが、正確に判読ができません。ちなみに伊能の測量日記には串島の測量はなされていますが瓶ノ島の記載は見当たりません。
松島と言えば現在でこそ電力の島ですが昔は捕鯨や炭鉱の島として栄えています。特に炭鉱は江戸期の大村藩時代から採掘していた点は注目に値するのではないでしょうか。
その石炭にまつわる言い伝えとして残るのがこの瓶ノ島のはなしです。真偽は定かではありませんが、江戸の初め慶長の頃、松島釜ノ浦の漁民五平太焚火をしていた際に石炭を発見したようです。この瓶ノ島でも江戸期に採掘が行われ、その後崩落が起こり島の形が変わったようです。石炭で崩落した島というと香焼沖の横島をつい思い浮かべてしまいますが、こちらの瓶ノ島も江戸期の石炭採掘前にはもっと大きな島だった可能性があるかもしれません。
付記、この江戸期の石炭に関する記述は長崎古今集欄のヒン嶋に記載があります。
島の由来ですが瓶の形に似ていたことから名付けられた地名と考えられます。
上記写真は1975年に撮影された松島村内郷 瓶ノ島(西海市大瀬戸町松島)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。写真の一番下に松島の先端が少しだけ写っています。また串島はこちらのブログでも以前紹介した元石炭の島です。現在は付近が松島火力発電所になっています。串島の北方にあるのが瓶ノ島です。火力発電所があるので船でも使わない限り近くで写真は撮れない島です。
今日は瓶ノ島のおはなしでした。
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