蛭子屋敷(松島村内郷 蛭子屋敷) 松島の蛭子屋敷

長崎の著名人のひとりと言えば、蛭子さん。以前はローカル路線バスの旅などで大変楽しませてくれていましたが最近は認知症の影響でテレビでは見かけませんが今後も本でご活躍してほしいです。今日は蛭子にまつわる地名、もちろん蛭子さんには字が同じ以外の接点はないと思います。

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写真は松島の釜ノ浦港の桟橋附近、瀬戸港からの連絡船の桟橋です、さいかい交通もこちらから太田方面や内浦方面へ路線バスが走っています。当時は写真のような中型バスでしたが現在はハイエースらしいです。それだけ池島同様に需要が減ったということでしょう。

さてこの写真に写る狭い範囲が松島内郷にあった小字地名の蛭子屋敷です。釜ノ浦ばかりでなく松島には沢山の小字地名がありました。それだけ江戸期や昭和初期までは捕鯨や炭鉱で賑わった島の証のように思えます。今でこそ400人台に人口は減っていますが、最盛期(大正)は12000人を超える人口がいた島です。

伊能忠敬の測量日記にも地名こそ出てきませんが蛭子屋敷のあった釜ノ浦には人家が150軒あったことが記されています。また、昭和初期の釜ノ浦には蛭子屋敷の小字内にも複数の遊郭があることが分かっていますので当時は相当賑やかったようです。さて蛭子屋敷の地名の由来ですが、この小字蛭子屋敷の一角にえべす屋さんがあったことが分かっています。

そのえべす屋さんが小字地名になるぐらいですからそれなりの屋敷や地域での力を持っていた時代があったのでしょう。そのことがこの蛭子屋敷の地名に繋がったと考えられます。ちなみに釜ノ浦には三国屋さんという旅館があり、幕末の史実にでてきますがこちらの小字地名は恐らく隣にある酒場屋敷だったと思われます。

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上記写真は2010年に撮影された松島村内郷 蛭子屋敷(西海市大瀬戸町松島)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。松島釜ノ浦にある小さき区画の小字地名、蛭子屋敷は桟橋周辺です。

今日は松島の釜ノ浦にある蛭子屋敷のおはなしでした。

この記事へのコメント

  • ちび太郎

    こんにちは。
    梅雨入りが早かった長崎ですが、線状降水帯の通過や停滞もなく、全体的に降水量は少なめで梅雨が明けました。
    各地で発生する災害、オリンピックのドタバタ劇、そしてやっぱりコロナウイルス、狂った世界の中で酷暑を過ごさないといけませんね。
    宿泊を伴う島旅に出かけたい気分ですが、小値賀島で6名コロナ発生とか言われると県内の離島ですらのんびり出かける気になれません。
    スーパーカブ号を入手したので、高島、池島、松島など安い船賃で島探険をしようと画策中です。でも、暑いだろうなぁ・・・。
    2021年07月20日 11:33
  • サルル

    ちび太郎さん

    こんにちは、暑いですね。今日も日本で3番目の37度でした(汗)
    それなのに明日から我が市内でオリンピックの予選が始まるのが不思議です。お陰様で全く盛り上がってません(大笑)

    島旅最高ですね。ブログ書きながら、私も連絡船に乗って松島に行ったり、西海沿岸商船の池島~佐世保航路(高速船)や瀬川汽船の佐世保~横瀬航路などに乗ってみたいと思っていたところでした。

    コロナがある程度収束してワクチンが打てたらですが行きたいですね。夏は熱中症になりそうで長崎は私には無理です(笑)
    2021年07月20日 19:11