
写真は稗田付近を走る長崎バス、後ろに稲佐山と九州号の車庫が見えます。この辺り、長崎市内をぶらぶらする際には昼ご飯にリンガーハットさまでお世話になっています。

写真は稗田付近を走る九州号、ちなみに長崎バスの稲佐山へ向かう登り口付近に小さく写っていますが、あの場所には以前、鵬ヶ崎という長崎港に突き出た岬があった場所になります。岬の地形を上手く利用して稲佐山方面へ上る道に利用されています。そのうち鵬ヶ崎自体も紹介したいと思います。

稗田付近を走る長崎バス、バスの奥にある稲佐木材さんの建物が結構好きです。現在はバス停名や橋名に稗田橋として稗田の地名は残っています。伊能大図には記載されない地名ですが伊能の測量日記には稗田や稗田川の記載があります。ちなみに長崎名勝図絵には出てこないので特質すべき場所ではなかったと思われます。
付記、長崎古今集覧には稗田浦と記され、長崎日記に此人ノ苗字也といった興味深い記述があります。

こちらの地図は1802年の肥前長崎図の復刻盤ポスター(長崎文献社)より稗田付近を引用しております。鵬ヶ崎の岬が強調されています。また対岸の米蔵は現在の駅前(NHK)附近にあったと考えられる北瀬崎米蔵です。
さて稗田の地名の由来を考えたいと思います。稗田といえば、稗、「冷え」につながるように、痩せた土壌や寒い地域でも作れる以前は粟とともに大事な作物でしたので、鵬ヶ崎横の浜辺に近い平地で稗が作られた場所があったことが地名の由来になった可能性はあります。また稗田と言えば古事記編纂で著名な稗田阿礼の稗田氏がいますので、稗田氏が住んでいたことから稗田になった可能性もありそうです。また奈良や島原市内にもありますが、稗田という地名の方が以前この地に住み着いたことから稗田になった可能性もありそうです。
いずれにしてもはっきりした由来はわかりませんが、この3点が地名の由来になった可能性は充分ありそうです。
コロナ渦で苦境の九州号、今後ぜひ頑張ってほしいです。父が単身赴任した際には中学の頃によく利用していました、大学の頃は福岡から毎月のように利用していた九州号、いまでも福岡空港から長崎へ帰る際は8割が九州号を利用しています。
新幹線がもしできても、私は断然、九州号派です♪今後もなるべく利用して応援したいと思います。
今日は稲佐郷にある稗田のおはなしでした。
この記事へのコメント