割石(浦上淵村稲佐郷 割石) 埋立で消えた長崎港内の名所

長崎の夏と言えば精霊流しですが、小さい頃、私の夏の恒例のひとつが納涼船にのって長崎港内を巡ることでした。今日は明治30年以降の埋立前まであった長崎港内の名所のおはなしです。

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場所は旭町バス停付近で道路を覆う形で長崎駅方向に架かる旭大橋が写っています。中心部から近く三菱の工場も多いのでバスも多数運行されている場所です。残念ながら石だけでも移設すればよかったのかもしれませんが当時はそんな考えなどあろうはずもなく稲佐割石の面影は残されていません。今も残っていたら納涼船でも初めに見える海岸線の名所だったことでしょう。

割石ですが伊能忠敬の測量日記にも記されています。また長崎名勝図絵では絵も掲載された名所として紹介されています。絵には家屋の前の海岸線にある砂浜上に大きな家屋と同じ大きさレベルの大石と大石の三分の一程度の小石の絵が掲載されています。

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こちらの地図は1802年の肥前長崎図の復刻盤ポスター(長崎文献社)より割石付近を引用しております。江戸期の割石の雰囲気を伝えています。

割石の地名の由来ですが、長崎名勝図絵に海岸の崖が崩れ落ち割れて横の渡場(志賀波止)を遮っているので割石渡と呼ばれると由来が記されています。また寛文5年(1665年)オランダ船の石火矢の誤射で崖にあった岩が2つに割れて落下した言い伝えを紹介しています。なかなか真偽は分かりませんが長崎らしい言い伝えで興味深い話です。

石火矢の話が真実かは分かりませんが裏の崖が崩れ落ちて2つの大岩になり割石と呼ばれる名所になったことは間違いないと思います。

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上記写真は2010年に撮影された浦上淵村稲佐郷割石(長崎市旭町)附近の空中写真です。割石文字附近にあったと推定されます。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。近くには志賀波止、鯨堂など地名としても歴史的にも興味深い場所ですので今後紹介する予定です。

今日は稲佐にあった割石のおはなしでした。納涼船なんて書きましたが今は納涼船とっくにないようです(笑)死語になっているのかもしれませんね、小学校のときは絵にも描いた思い出があるのですが。。。。

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