浦 (崎戸村蠣浦郷 浦) 浦は昔の加喜ノ浦

崎戸村には本郷と蠣浦郷の2つに浦(一字)という小字がありました。今日は蠣浦郷の浦を紹介します。

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写真は浦付近を走行するさいかい交通、前回の奥浦同様に浅間町経由のバスがガードレールのない海辺をのんびり走ります♪いまのところ1日6本ぐらい平日は走っていますが今後は過疎化やコロナ渦もありますし、どうなるか心配なところです。

伊能大図には加喜ノ浦島とは別に集落としての加喜浦の記載があり、測量日記には奥ノ浦と無田(牟田)島の間に加喜ノ浦の記載があります。伊能大図や測量日記から伺えるのは江戸期の蛎浦島の中心地が島名と同じ名の集落であることから恐らくはこの加喜ノ浦であったと思われます。江戸期の崎戸と言えば捕鯨業が盛んな島でしたので、この浦もきっと捕鯨業関連の漁船で賑わっていたことでしょう。

蠣浦自体は非常に広い浦ですが、浪や風さへ防げれば、外海に近いこの浦(加喜ノ浦)が一番地理的にも捕鯨業関連の漁民にとっては都合が良かったことから漁港として発展したのかもしれません。

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それにしても加喜ノ浦の加喜はいい当て字ですね。センスを感じます。伊能大図には写真の浦周辺にも小さい入江が見られるので、多少海岸線附近が埋立られたのかもしれません。それでも現在も浦周辺には漁船が並んでいます。

浦の地名の由来ですが、江戸期の蛎浦島の中心地であった加喜ノ浦ですから島内ではもちろん浦といえばこの加喜ノ浦を指したことから小字として浦になったと考えられます。

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上記写真は1975年に撮影された崎戸村蠣浦郷 浦(西海市崎戸町)附近の空中写真です。奥浦から牟田島方向に浦がありますちなみに伊能の測量日記には浦と牟田島の間に阿古木の地名が存在します。浅間町経由のさいかい交通バスは牟田島(浅間町)まで乗り入れしています。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。

今日は崎戸にある浦のおはなしでした。

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