兵庫と言えば、小さい頃はいとこが高砂市に住んでおり、2度ほど夏休みに割と長めに滞在させていただいたことがありいい思い出になっていたり、知人が宝塚に住んでおり何度か遊びにいったりと、とてもいいイメージの県です。最近はスカイマークの神戸空港経由の便でお世話になってつかの間の兵庫タイムを楽しむだけですが(笑)
さてそんな兵庫の地名が長崎市内にもありました。場所は浦上水源地のダムの堤の真下付近から泉町方向にある一角になります。
写真は浦上ダム、左側(泉町側)が西浦上村家野郷兵庫のあった一角になります。ちなみに小さい小字地名のため伊能大図にはもちろん記載がなく、もともとこの周辺を通っていないため測量日記にも当然記載がありません。また長崎名勝図絵にも記載はありません。ちなみに兵庫の一角にはダムの上を歩きながら泉町の方へ通じる道があり子供のころ何度か通ったことがあります。特に何もない山道ですが友人の家に行くには近道でした。もちろん街灯などはなく明るい時間帯しか歩けない道です。
浦上水源地横にある兵庫の場所にある小山、桜が咲き、小さな鳥居がある魅力的な場所ですが水源地の敷地内で参拝することはできません。水神様でも祀っているのかもしれません。
さて兵庫の地名の由来ですが兵庫とは古来から武器庫など字が示す通り兵隊用の用具などを保管する倉庫に使われる地名です。「復元!被爆直前の長崎」を見ると兵庫の小字地名内に軍米倉庫の標記があります。場所は一番上の写真の橋の左側にある建物附近になります。この倉庫が兵庫地名の語源になった可能性が高いと考えられます。敗戦の年に完成した浦上水源地よりも以前からこの軍米倉庫はあったと考えられます。ちなみに近くには現在の西浦上小学校の場所に軍気球陣地があったようです。
ちなみに江戸時代は天領から大村藩領、戦国時代には有馬領やイエズス会に寄進された場所でもありますが、戦略的に重要な地ではありませんのでやはり明治後の軍隊に由来した地名の可能性が高いと思われます。兵庫県の兵庫の由来も兵器を収納する倉庫が大化の改新の際に須磨関を守るため現在の神戸市兵庫区周辺に兵庫(つわものぐら)があったことに由来するそうです。
上記写真は2010年に撮影された西浦上村家野郷 兵庫(長崎市昭和町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。兵庫の地名文字附近にあった軍米倉庫が地名の由来と考えられます。
今日は長崎市内にもあった兵庫のおはなしでした。
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