太田尾名(太田尾町)蜂ノ巣付近を走る長崎バスの茂木~矢上の路線、橘湾沿いを走る典型的なローカル路線ですが車窓の良さは海沿いを走る路線が比較的多い長崎バス内でも屈指です。私も長崎から去る4か月ほど前から何度も乗って楽しみました。特に蜂巣付近(太田尾~潮見町)は長崎バスが近年矢上に進出するまで路線がなかったこともあり、ほぼ私の貸し切り状態でバス旅を満喫していました。
そんな路線バス旅が好きな人間にとっては最高な路線も会社にとっては当然大赤字路線であり、当然の結末と言えばそれまでですが現在は1日2往復にまで削減され、コロナ渦の利用客減少を考えれば、JR北海道のローカル線問題と同じく路線自体の維持が厳しいかもしれません。長崎の人なら感染が落ち着いた時期ならですが、乗るなら今のうちかもしれません。
冬の蜂ノ巣付近を走る長崎バス、今となってはこんな写真を撮るのもハードルが高いので難しいかもしれません。蜂ノ巣ですが特別に蜂ノ巣が多かったり、蜂が多い場所ではないのでバスの窓を開けていてもまったく問題ありません、よく考えると最近のバスは窓の開閉すらできないバスが多くてその土地の風や匂いを感じられることが少なくなりました。
蜂ノ巣付近は山川河内川から潮見町方面に海岸から斜面に続く枇杷畑や墓地のある小字地名です。小字地名ですので伊能大図や測量日記にも地名では記載はありませんし、名勝などありませんので長崎名勝図絵にも記載はありません。
早速ですが蜂ノ巣の地名の由来を考えたいと思います。字だけ見れば蜂ノ巣ですのでまさに蜂ノ巣があったからと言いたくなることろでもありますが、蜂ノ巣なんて全国どこにでもあります。とりたてて地名になるなら毎年多くの蜂ノ巣が密集するか大きい蜂ノ巣ができるとか養蜂家がいるので蜂が多い、蜂に因んだ伝承があるなどが考えられそうです。養蜂家がいて小字地名になった可能性もありますが、私は別の説を考えます。
まず蜂ですが、端が転訛して「はし」が「はち」になり当て字に蜂が使われ、巣ですが、こちらも「す」には砂浜の他、暗礁にも使われます。この太田尾にある蜂ノ巣周辺の地形を考えると太田尾集落の端の方にある砂浜又は海岸側付近にあった暗礁からつけられた地名の可能性が高い気がします。山川河内川が流れているので土石流による隠れた暗礁があったのかもしれませんし、今では護岸工事等で失われていますが昔は砂浜だった可能性も高いと思います。
そういうことで太田尾の蜂ノ巣は端のほうにある砂浜または暗礁が語源になった可能性が高いかもしれません。
上記写真は2010年に撮影された茂木村太田尾名蜂ノ巣(長崎市太田尾町)、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。太田尾集落に近い山川河内川より潮見町側の海岸と斜面の一部が蜂ノ巣です。日吉小中の文字左が校舎になります。とりたてて訪問すべき場所ではありませんが、最寄りは太田尾バス停です。飯香の浦線の太田尾経由で訪問可能です。
今日は太田尾にある蜂ノ巣のおはなしでした。
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