写真は立神地区、高い山は帆掛山(172M)になります。西立神町の裏山になります。帆掛山を越えるとみなと坂方向になります。
立神地区は海以外を四方に山に囲まれた地形です。造船所を除けば、どちらに向かうにしろ坂道が待っている長崎らしい場所と言えます。そんな立神にあるのが蛍越、長崎市民も蛍茶屋は誰でも知っていると思いますが蛍越を知っている人は滅多にいないのではないかと思います。
それにしても蛍が地名なんてとても魅力的です。蛍越なんて文学の世界でも通用しそうな地名で妄想しそうですが、なぜ蛍越なのかとても気になります。
小字地名ですので伊能大図にはもちろん記載はありません、また測量日記にも立神郷の地名は出てきますが蛍越はありません。長崎名勝図絵にもありませんので少なくとも現在もですが、名所であったことはないのは明らかです。ちなみに蛍の名所になるような小さい河川も見当たりません。溝程度はありそうですが。。。
蛍越の地名の由来を考えたいと思います。ちなみに立神郷内には蛍越の他に鳥越、西泊越の小字が存在します。蛍越、小字内にあるのは帆掛山、そうこの本来は帆掛越(ほかけごえ)とすべきところをなぜか蛍越(ほたるごえ)にしたのではと考えられます。あくまでも推定ですが恐らくは担当したお役人さまの神の手の仕業のような気します。
盛り過ぎ当字地名のベスト3に入りそうな地名です。乳母を女の都、隣の西泊郷にはスズレに鈴響の当て字をするぐらいの長崎市ですから、この私が考える盛り過ぎ当字説も充分あり得そうな気がします。
もし間違いなら、ぜひ指摘頂きたいものです。
蛍の名所の蛍越ならそれなりに知名度もあったことでしょう。住民が殆どいない山手の小字地名でなので担当お役人様の遊び心がこんな字面だけみれば魅力的な地名を生んだのではと思います。とはいえもしそうなら個人的には脱線しすぎ感はありますが。。。
真偽は謎ではありますが、今後、蛍越研究家が現れて明らかになることを期待したいです♪
今日は立神にある蛍越のおはなしでした。
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