目覚(浦上山里村馬込郷 目覚) 不思議な目覚地名の謎

ん~何でだろうと気になる地名に長崎市内の目覚があります。今日はそんな目覚の地名について

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場所はココウォークのある茂里町付近にある目覚町です。浦上駅前電停から銭座町町電停の山側が大雑把に言った目覚町になります。坂本外人墓地も目覚町内にあります。

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こちらは目覚町バス停、山王通りにあるため市内中心部からですと医大経由のバス(8番系統の下大橋行き、三川町行)が1時間に4本ほどは走っていますが、茂里町からも歩いてすぐなので路面電車でもすぐに行ける目覚です。

さて目覚の地名、特段主要な地名でもないので伊能大図にもなく、測量日記にも出てこない地名です。目覚とは、当たり前ですが眠りからさめて覚醒すること、なぜそんな目覚が地名になったのか気になりだして結構な月日が経ちました。

その目覚が覚醒する意味であることをずっと考えていると、同じ浦上山里村馬込郷目覚付近に江戸時代あった溜牢を思い出します。溜牢は重罪人ではない病囚や幼囚をいれた牢屋ですがその他にも罪人の矯正施設としての機能もあったようです。罪人の矯正や更生を考えていると、私の頭の中はレミゼラブルのジャンバルジャンなどが頭に浮かびながら、この罪人の矯正、更生が一種の新しい人生や人間としての目覚、または覚醒として地名が目覚になったのではとしばらく考えていた時期がありました。もちろんそんな覚醒することが地名に果たしてなる可能性はあるのかといった疑問を持ちながら時間だけが過ぎていきました。

ところがどっこい、改めて長崎名勝図絵を読んでいるとその解答がありました。長崎奉行でも有名な牛込忠左衛門が岸上にある松の老樹を見醒(みざめの)松と名付けています。海面に枝が垂れ、見所はあるが、枝ぶりがよくないなど何らかの理由で興ざめすることで見醒松となったようです。この見醒(みざめ)が時代とともに転訛して(めざめ)となり当て字に目覚が当てられて現在の目覚の地名になったと考えてほぼ間違いないと思います。

1730年代に始まる浦上新田の開発前はこの界隈も長崎港が広がっていた場所で波打ち際には松の老樹があるような風景が広がっていたようです。今では想像することも難しいですがそんな昔の長崎を思い浮かべながら目覚付近をさんぽしてみるのもお勧めです。

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上記写真は2010年に撮影された浦上山里村馬込郷目覚(長崎市目覚町)附近の航空写真です、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。長崎の中心街にも近く付近には元長崎駅だった現在の浦上駅があります、ココウォークもあるので買い物も便利な地区になりました。

今日は長崎市内にある気になる地名、目覚のおはなしでした。ようやく気がかりが一つ消え、なんだかスッキリした気持です。次回はすぐお隣の松ケ崎を紹介したいと思います。

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