
写真中央やや左寄りの海岸線に頭が白い立岩が見えます。小さすぎて申し訳ございません。(見えない場合は申し訳ございませんが心眼で見てくださいませ)ちなみに遠くに見えるのは野母の権現崎です。
私は岳路から歩きましたがサバイバル系の方はいいかもしれませんが、散歩がてらに気軽に行ける場所ではありません。波があれば危険ですし高い岩を超える場所もあるので遠くから眺めるのがいいかもしれません。(ただ地元の方や釣り人さんに知られた安全な道もあるかもしれません。)
今は知っている人も少ない立岩がいわば幕府領高濱村と佐賀領蚊焼村の藩境の象徴だったようです。伊能大図には記載がありませんが測量日記には投上石の記載があります。残念ながら長崎名勝図絵には記載がありません。
私は遠くからしか眺められなかった投上石ですが「みさき道人さんのブログ」で大きく取り上げております。こちらには投上石の近接写真や歴史、由来なども詳しく書かれているのでぜひご覧ください。
「みさき道人さんのブログより 野母崎の散策 (1) 黒浜の風景・史跡 長崎市黒浜町」
さて、高浜村にあった小字地名の投上げの由来ですが、当然地名の由来になったのは幕府領高濱村と佐賀領蚊焼村の境界石になっていた投上石(投上ヶ石)です。その立岩の上部分の石が投げて上げてのっかったような形状から投上石と呼ばれ、地名にもなったものと考えられます。幕府領は投上げ、佐賀領は投揚と読みは同じでも当て字が違うのは藩境になるため便宜上分けたものと考えられます。長崎には他にも大村領や佐賀領の違いで同じ読みでも当て字が違う地名が存在します。
地元では弁慶由来の伝承もあるようですが、こちらは恐らく創作の類でしょう。日本全国にある弁慶や義経、弘法様由来の地、長崎で言えば神功皇后ゆかりの地と同じ類と思います。

上記写真は2010年に撮影された高浜村 投上げ(長崎市黒浜町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。写真の〇が藩境にあった投上石周辺です。近くの崖上には黒浜町内の「閑居庵」さんという食堂があるようです。景色がよさそうなとてもいい場所にあるので私も行ってみたいです。蚊焼側の小字は投揚と当て字が違います。近くには岳路海水浴場があります。
今日は(幕府領)高浜側にあった投上げのおはなしでした。
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