古町(樺島村 古町) 長崎バス南部の哀愁ある終着バス待合所

そういえば、最近長崎バスの樺島バス待合所が新しいものに変わったことを知りました。
なかなかにいい味を出していたのになぁ~なんて思いながら今日は樺島の古町について。。。

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こちらが近年まであった樺島バス待合所、北海道のローカル線によくあった仮乗降場レベルの簡易待合所がとてもいい雰囲気で気に入っていました。長崎バス南部路線の終点にふさわしいシンボルに感じてましたので現役を終えられたのは老朽化のため仕方がなかったのかもしれませんが残念です。

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長崎バスでもこのレベルで雰囲気のあるバス待合所は少ないと思います。さいかい交通には多少ありますが。。。

さて、脱線しましたが樺島の古町について、樺島自体は、南北朝時代から深堀文書に見られる地名で、朝鮮出兵の際には島津義久が滞在したこともあるようですし、近年では、今年長崎新聞の記事にもなりましたが特攻邸震洋の中継基地になったこともある場所です。とりわけ新聞に掲載された樺島港に並ぶ「カケ」の古写真はとても印象に残りました。

その今は無き「カケ」が並んだ場所に今回紹介する古町もあったことでしょう。

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「カケ」なき樺島の古町付近を走る長崎バス

その古町ですが伊能大図には記載がありませんが測量日記には記載のある地名です。長崎名勝図絵にも古町の記載こそありませんが民戸多く繁華である記載があり、江戸期は特に風待港として賑わっていたことが分かっています。

さて地名の古町の由来についてですが、少なくとも江戸期からある地名であることや対岸に新町があることが分かっています。恐らくは風待港として賑わった樺島の集落として時代こそ分かりませんが、初期のころから賑わっていたことから古町となったと考えられます。はじめに古町側が賑わい、あとになって賑わいだした対岸側を新町と呼ぶようになり地名になったように思えます。

最初は単に村、浦、程度で呼ばれていた島の地名も風待港として賑わうとやがて酒場や女郎屋などもでき、町と呼ばれるほど賑わいを見せ、次第に対岸にも店が増えた段階で、対岸が新町と呼ばれるようになり、以前からある町が古町と区別して言われるようになったのではと私の頭では想像してしまいます。

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上記写真は2010年に撮影された樺島村古町(長崎市野母崎町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。樺島港の西側が古町、東側が新町です。

今日は樺島の古町のおはなしでした。

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