儀長浜(樺島村 儀長浜) 埋め立てられた樺島の浜

長崎は海岸線が長いのと同じく近年、埋立が進んで海岸線が変化した場所が多いことも事実です。
今日は長崎市南部樺島の恐らく埋立で失われた浜のおはなしです。

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写真は高台から見た樺島の集落、写真右手前が儀長浜付近になります。ちなみにウォーリーではありませんが小さく長崎バスも写っています。樺島バス停に停車中です。残念ながら現在の儀長浜付近はすっかり埋立られています。

儀長浜ですが、樺島にあった小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。早速ですが儀長浜の由来について考えたいと思います。恐らく儀長は、左義長が由来になり「左」部分が略された地名と考えられます。左義長は小正月に門松などを焼く火祭りのこと、私の住んでいた西浦上地区では鬼火焚きといっていました。全国的にある行事ですので、東北ではどんと祭などと言います。

左義長の自体の由来は平安時代の宮中行事が起源のようです。恐らく樺島の儀長浜は、現在は樺島にどのような風習が残っているのかわかりませんが、以前は儀長浜近くで小正月に火祭りの習俗があったことを伺わせてくれる地名です。そもそも樺島で左義長の言葉が使われたのか疑問もありますが江戸期は風待港として賑わった樺島ですから遠国生まれの船乗りが立ち寄ることも普通にあったことでしょう。

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上記写真は1975年に撮影された樺島村儀長浜(長崎市野母崎町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。昭和の時代はまだ埋立前に近い状態で細長い樺島港、まだ樺島大橋開通前の樺島です。明治や江戸期は恐らく浜になっていたことでしょう。

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上記写真は2010年に撮影された樺島村儀長浜(長崎市野母崎町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。昭和の時代の樺島港は埋立られ半分ほどの長崎に変化しています。もちろん樺島大橋開通後の姿です。

今日は樺島の儀長浜のおはなしでした。

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