皿焼(浦上山里村寺野郷 皿焼) 焼物の里?

長崎で焼物と言えば、私でも波佐見焼や三川内焼は知ってますが、そんな焼物系地名?

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写真は小字地名の皿焼付近を走る長崎バス、このバスの走る上方が皿焼付近になります。現在は長崎市花園町や立岩町付近になります。私が皿焼の地名を知ったきっかけは長崎バスの1日乗車券の範囲内に皿焼バス停の記載があったことがきっかけでした。現在も皿焼バス停は1日乗車券の範囲内です。ちなみにこんな写真を撮る際にも長崎バスの1日乗車券に大変お世話になっております。

観光客でない私でも1日乗車券は何度も利用したことがありますが皿焼まで利用したことはありません。ただ近くには「ふくの湯」さんがあるといえばありますが、そもそも「ふくの湯」さんは無料バス運行しているので、地元民以外で皿焼バス停を利用する方はほぼいないのではないでしょうか。ちなみに皿焼バス停のある春木町経由の路線は1989年開設です。

あまり焼物に興味がない私が書くのは気が引けますが市内には昔、伊良林にあった亀山焼や浦上淵に鵬ヶ崎焼が一応江戸期にあったことが知られていますがその他を知りません。皿焼のある場所は江戸期は浦上淵村寺野郷でしたが明治30年代に浦上山里村に編入された歴史がありますので江戸期でいえば同じ浦上淵村に鵬ヶ崎焼があったことになります。

小字地名の皿焼の地名の由来を考えたいと思います。伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。長崎名勝図絵に記載がないことを考えると少なくともお土産や工芸レベルの焼物ではなくもし焼物の里であったとして庶民向けというか生活に密着した皿を焼いていた場所と考えられます、ちなみに隣接した場所に小字地名の竈焼(かめやき)があることからも時代こそ分かりませんがこの周辺で皿や甕を焼く工房があたことを臭わせてくれます。

焼物には窯の他に土や窯で使用する木も必要と思いますがこの地域がその点において適した場所だったのかもしれません。ちなみに地形的に考えれば、皿は台地状の場所や「ざれる・うばいさられる」などの転訛から傾斜地などの崖にも使われます、焼は焼畑を行っていた場所によく使われる用語ですので、傾斜地にある焼畑から皿焼の地名になった可能性もありそうです。ただお隣に竈焼の地名があることからやはり、焼物をやっていた場所の可能性が高いように思います。

今日は皿焼のおはなしでした。

この記事へのコメント

  • ちび太郎

    毎回、興味深く読ませて頂き感謝です。
    いつも思うのですが、バス停名には普段は使わない地名や史実による名前が多く使われていますね。
    「どういう意味だろう?」と調べてみたり、勝手に周りの風景から想像してみたり案外楽しめるものだと思います。
    ただ、最近は昔からの名称を変更し、今その場所が分かりやすいようなランドマーク的な名前に変わっていくのが少し残念な気がします。
    2021年12月14日 09:00
  • サルル

    ちび太郎さん
    おばんです。長崎バスは割合、使われなくなった小字地名のバス停がそれなりにあるので私もそこから興味を持つ地名も結構あります。きっかけは必要ですね。お陰でそこから幅を広げて楽しめる場合もあります。いい地名も結構あるのに使われなくなった地名の掘り起こしを含め、個人的に楽しんでいます。
    2021年12月14日 18:17