写真は式見の荒毛公園付近を走る長崎バスのミニバス、この上方がかっての田舎郷と呼ばれた地区になります。ちなみに現在は地名が田舎郷内にあった小字地名の四杖町(よつえ)となっています。
田舎郷内には田舎の小字地名も存在したのでそれこそ、地名では田舎の田舎が存在していました。家も結構ある田舎とという地名には似つかわしくない地区ですが、道が狭い、坂が急なのか現在も路線バスの乗り入れはありません。ちなみに昔あった式見高校は田舎郷内にあります。その名も田舎高校だったらと妄想します。
田舎と言えば、日本人にはなぜか都会との比較で昔から低くみられる悪い傾向があるので長崎では残念ですが田舎の地名はなくなっています。都会は汚い、ダサい、田舎は映える、エモいなどいいイメージがもっと日本人のDNAに植え込まれ田舎の方がよほどいいといった価値観に変わってくれると個人的には嬉しいです。そんな私も田舎の方が大好きです。
長崎では地名として消えてしまった田舎ですが(公民館名として残っています。)、青森県の津軽には田舎館村が存在ます。弘南鉄道の終着駅には田舎館(いなかだて)駅もありますし、田舎館小学校や田舎館中学校もあります。当たり前ですが何も恥ずかしいことなど全くありません。私は田舎館には行ったことがないと思っていましたが、奥羽線の川部駅は田舎館村内にあるようで、五能線の起点でもある駅ですし大きな木造駅舎があるので行ったことがありました。その写真が上の写真です。
ちなみに田舎郷が四杖町に変わったのは昭和46年ですので、昭和23年発行の地形図にはちゃんと田舎の地名が記載されています。
さて肝心の田舎の地名の由来について考えたいと思います、伊能大図には式見村の木場や相川の記載はありますが測量日記を含め田舎地名の記載はありません。田舎ですがもちろん都会との対比用語や郊外といったことでも使われますが、農村の意味でも使われます。式見村は海に面した漁村として栄えた村ですので、大きな式見という漁村の中にある農村地区といった意味で田舎の地名になったように思えます。ちなみに同じ式見村にある木場郷は焼畑地区の意味となります。
田舎地区は漁村がメインの式見の中では山手にある農村(畑作)集落だったことが伺い知れる地名だと思えます。
上記写真は2010年に撮影された式見村田舎郷(長崎市四杖、式見、相川町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。式見の山手にある田舎地区
今日は長崎にあった田舎のなかの田舎の地名のおはなしでした。
この記事へのコメント
my
田舎 英語ではcountry、いい響きですよね、
田舎者などという言葉が 田舎という言葉を格下げてきたのかもしれませんね、東京の下町なんて 私が育った田舎町より 田舎の雰囲気がプンプンしているところもあるし、浅草の伯母の家に行ったとき、そうおもいましt(人間関係などで)
私も田舎、いいなあ、って思います。 中途半端な田舎 どこでもあるような住宅地に育ってきて、今住んでいるところもそうなので
地理的には田舎なのでしょうが 田舎っぽい近所づきあいの中で暮らしてこなかったので 田舎での人間関係も含めて田舎ってどんなんだろう、と思います。
何代か前からその地で暮らし その地の良さも悪さも知ってて 人情も わずらわしさも知ってて でも この地が一番という
そんなふるさとがあるっていいな、と思います。
話が飛躍しましたが
今回の田舎考察 とても面白かったです。
式見の田舎郷、漁村と農村の区別での 言葉、、納得です。
古地図から見えてくること 面白いのですね
サルル
おばんです。田舎記事、好評だったようでうれしいです。
やっぱり田舎が落ち着くしいいですね(笑)
私はどぉ~も人が多いところが苦手です(汗)
たまに都会を歩くのもいいですがたまにで充分です。
そのたまにですら、コロナのお陰で皆無になりましたが。
故郷が田舎にあるというのはある意味特権ですね。
私も親のお陰でいい故郷をもてて感謝です。