城ノ越(面高村太田和郷 城ノ越) 大多和氏の下り山城跡

城ノ越、長崎市内にも家野町や夫婦川町(城ノ古址)に同じ読みの地名がありますが今回は太田和の城ノ越について。。

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これは思わず、バスの写真でしょうと突っ込みが入りそうですが(笑)、実は密やかに下り山城が写っていました(汗)、場所は城ノ越文字下付近にある海岸線の上にみえる小山が下り山城跡になります。写真は対岸の西彼大島黒瀬地区から撮っています。

この写真を自分の過去ストックから見つけ出したときは恥ずかしながら、いろんな意味で感動しました(笑)、この地名のブログを始めてからちょうど2年目になりますが、空中写真や過去の地形図等を除き今のところ自分が過去に撮った写真を活用しています。この2年間に長崎へ帰省できたのは父が突然亡くなった去年の春だけで、その際には市内や大村湾沿いを多少歩いて写真を撮りましたがそれ以外は過去に私が撮りためていた写真を活用しています。

本来であれば長崎に住んでもっと現地を下調べして歩き、もっといい写真を撮って地名の紹介をしたいという気持ちも当然ありますが、長崎から離れた環境ですし、コロナ渦ですのでいろんな意味で難しくなりました。そんな訳で我流ですが無理せず過去の写真を見ながら紹介できるポイントを探すのも私にとってはちょっとした旅のような楽しい感覚になります♪、この写真がなければたぶん太田和の城ノ越を紹介することはなかったでしょう(汗)

もちろん2年前までは長崎の地名ブログなど作る予定もなかったので、いつかは過去に撮った長崎の写真を活用できることができればとも思いましたがそれが何なのか恥ずかしながら分からなかったが事実です。(北海道のアイヌ語地名は好きでサイトを作っていましたが長崎の地名は全く頭に浮かんでいませんでした。)今はこうして活用できる手段を見つけ地名を紹介しながら自分でも楽しんでいます♪

話が脱線しすぎましたが、太田和地区にある城ノ越ですが小字地名ですので伊能大図や測量日記にも記載がない小字地名です。また下り山城について大村郷村記には、館と違い記載がないようです。

ただ現在も城跡の遺構は多少あるようです。場所的にはすぐ隣接して大多和氏の館があるので大多和氏の城であったことは間違いないでしょう。こんな近くに敵の城なんてあったらとても安心して眠ることすらできないでしょうから(笑)

さて城ノ越の地名の由来について考えたいと思います。城は間違いなく下り山城を指していると考えられます。また越ですが、長崎市の夫婦川町にある地名のように元々城跡などがあったことを意味する古址の当て字の可能性や、城のある麓や、城の腰部分に該当することから当て字に越が使われた可能性がありそうです。

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上記写真は1975年に撮影された面高村太田和郷 城ノ越(西海市西海町太田和郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。館文字下が大多和(太田和)氏の館跡です。丁度空中写真ですと周りが緑で覆われているので分かり安いかと思います。今回紹介の城ノ越は下り山城文字左側の小山「下り山城跡」周辺になります。

今日は太田和にある城ノ越のおはなしでした。

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