写真は大瀬戸の樫の浦からみた現在の焼島、お隣の島、福島との小瀬戸は埋立られ地続きになっています。ちなみに写真に写っている船は瀬戸と松島を結ぶ連絡船です。ちなみに瀬戸からの池島航路に乗るとこの焼島や福島、松島をゆっくり楽しむことができます♪現在は家屋や漁港もあり有人島と思われますが江戸期の途中までお隣の島である福島とともに無人島だったと思われます。
焼島ですが伊能大図や測量日記にも記載がある地名です。実はお隣の福島が元は焼島と呼ばれていたようです。もともと無人島だった焼島(現在の福島)に1687年、三重村の住民、間三右エ門さんが火事で焼き出され、住民10人を引き連れこの焼島(現在の福島)に移り住んだ際に、焼き出されて住んだ島が焼島では、そのまま島名として分かり安いとも言えますが、住む住民にとってはやはり不吉であり昔の嫌な記憶を呼び起こすような島名であるに違いありません。そんな訳で移住した島民の願いが受け入れられたのか、その後焼島(現在の福島)は目出度い福島へ改名されています。
(伊能大図や測量日記は1800年代のものですので、焼島が現在の福島に名を改めた後の記載になります。)
その際についでにお隣にあった小島に元々福島の名であった焼島の島名が与えられたようです。焼島という地名を残すという理由からと思われますがなかなか粋な対応です。残念ながら現在の焼島が以前は無名島だった可能性が高いと思われますが島名があったかどうかまでは分かりません。そんな訳ですので焼島の島名の由来は三重村の住民の受難から移住した焼島(現在の福島)が島名の由来になっています。
こちらは昭和23年発行の地形図より、焼島が地形図状でもひとつの島になっています。
上記写真は1952年に撮影された瀬戸村福島郷 焼島(西海市大瀬戸町福島郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。空中写真で見ると昭和40年初頭までは福島とは繋がっていませんが昭和50年には埋立で現在のように福島と地続きになっています。
上記写真は2010年に撮影された瀬戸村福島郷 焼島(西海市大瀬戸町福島郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
今日はお隣の福島(元の焼島)から島名をもらった焼島のおはなしでした。
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