
写真は太田和港付近より見た呼子ノ鼻、見えずらいですが左側の岬が呼子ノ鼻、中央の影は寺島、一番奥の蔭が西彼大島になります。寺島と西彼半島の間にある海峡が呼子ノ瀬戸になります。
ちなみに現在の呼子ノ鼻には割烹旅館その名も「呼子」さんがあるようです、美味しそうな食事もできそうなので食事や宿泊ついでに呼子ノ鼻を堪能できそうです。場所がいいのでここのお刺身さまもきっと美味しいことでしょう。
最寄りのバス停はさいかい交通太田和バス停になります。太田和と寺島との間は結構距離がありますが途中にバス停はないので太田和より歩くしかありません。もともとバスも少ないの処ですので自家用車がないとハードルが高い場所になります。
呼子ノ鼻ですが伊能大図には呼崎と記載され、測量日記には中浦村の呼子崎と記載があります。江戸期は中浦村に属していたようです。
江戸期は呼子崎と呼ばれた時期もあった呼子ノ鼻の地名の由来を考えたいと思います。鼻はもちろん、岬を意味しているのは言うまでもありません。さて呼子の方ですが日本の妖怪には呼子という結構知名度もある妖怪(山彦のような妖怪)もいますが、ヤッホーと叫べばヤッホーとは返ってくるかもしれませんが場所的に言っても違うでしょう。
また呼子鳥とはカッコウを意味しますのでその略とも考えられます。長崎でカッコウを見たことなどありませんが、一応ですが九州にも渡ってくるそうなので可能性はとても低いと思いますがカッコウが由来になっている可能性もあるかもしれません。
一番可能性が高そうに思えるのは呼子笛の略です。場所的に岬という地形に使われている地名ですので船の航行の安全などを考えると呼子笛(ホイッスル)として使われたと考えるのが一番普通に思えます。
江戸期には船の位置的なものを知るための手段、現在も船の救難面でも重要な呼子笛ですので岬や目の前が海峡(呼子ノ瀬戸)ですのでこの呼子笛がこの周辺で使用されていたことが地名の由来になったと考えられます。

こちらは昭和23年発行の陸測図より呼子ノ鼻周辺の地形図、寺島と西彼半島の間の海峡に呼子ノ瀬戸、西彼半島側の岬に呼子ノ鼻が見えます。現在は寺島との間に大島大橋が架かっています。

上記写真は1975年に撮影された七釜村中浦北郷 呼子ノ鼻(西海市西海町中浦北郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。近くには太田和氏の館や城跡もあります。
今日は長崎にある呼子に因んだ地名のおはなしでした。
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